タモリさんが早稲田大学を除籍になった理由
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
モノマネで繰り広げる「四ヶ国語親善マージャン」で、
一世を風靡したタモリさんの登場です。
プロフィール
早稲田大学第二文学部西洋哲学専修除籍
生年月日 1945年8月22日
身長 161cm
体重 52kg
血液型 O型
事務所 田辺エージェンシー
経歴
★戦後の混乱期
1945年8月22日、福岡市南区にて誕生。
★福岡市立西高宮小学校
※3年生の下校中、何故か電柱に顔をぶつけてしまい、運悪く、
突起していたワイヤーが右目に突き刺さり、失明するという、
大変な不慮の事故に見舞われる。
サングラスをかけているのは、右目の義眼を隠すためである。
※祖母から「将来の為に、男でも料理が出来ないといけない」と言われ、
毎日、祖母が食事の支度をする様子を観察していた。
そのかいあってか、今では芸能界でも「料理の腕はプロ級」
と言われるまで、腕を挙げた。
★福岡市立高宮中学校
※陸上部と剣道部に所属する。
※船が大好きで、毎日の様に近所の港に船を見に行っていた。
※宣教師の手ぶり身振りの会話が面白いというだけで、教会に通う。
★福岡県立筑紫丘高等学校(偏差値70の進学校)
色々なことに興味を持ち、数々の部活動に参加する。
※吹奏楽部でトランペット兼司会を担当。
※船の無線通信士にあこがれ、アマチュア無線クラブに所属する。
※中学から引き続き剣道部にも所属。
※居合道場にも通い、二段の段位を取得した。
なんて!?アグレッシブな高校生活!!
★浪人時代
1年間の浪人時代、押し入れにこもって中国語、韓国語のラジオを、
長時間にわたって聞いて、勉強の気分転換をはかっていた。
この時の経験が、後の「6ヶ国語マージャン」等の、
「インチキ外国語芸」に生かされている。
★早稲田大学第二文学部西洋哲学専修除籍
※モダンジャズ研究会に所属。
※学生バンドのMCとして、テレビ出演もしていた。
※学費用として親から仕送りしてもらったお金を、
友人との旅行費として立て替えたが、返済してもらえず、
結果大学の学費が支払えなくなり、学費未納で、
除籍処分にされてしまう。
★サラリーマン時代
※大学を除籍処分された後も、しばらくモダンジャズ研究会の
マネージャーとして収入を得ていたが、福岡の叔父に、
呼び戻され、朝日生命に3年近く保険外交員として勤める。
この頃に同僚で、2歳年上の一般の女性と結婚する。
※旅行会社に転職し、大分県の系列のボウリング場の
支配人になる。
※喫茶店のマスターになる。
※大学時代のジャズ仲間のつながりで、芸能界の知人と知り合い、
徐々に交友の輪を広げていく。
居候
「タモリの芸をもっと見たい」と思い、タモリさんを東京に上京させ、
自身の家に、居候させた。
芸能界
★1976年
東京12チャンネルの深夜番組『空飛ぶモンティ・パイソン』で、
芸能界デビュー。
★1977年
週3回以上の宴会を催す。
★1979年
映画『下落合焼きとりムービー』に出演。
★1980年
芸能生活わずか5年のキャリアで、お笑いオーディション番組、
「お笑いスター誕生!!」の審査員を務める。
★1982年
※『森田一義アワー笑っていいとも』と、
『笑っていいとも!増刊号』が、スタートする。
当初は低視聴率だったものの、徐々に人気が出てきて、
2014年3月31日の番組終了迄、31年半ほど続いた、
超長寿番組となった。
※同時期にスタートした深夜バラエティ番組『タモリ倶楽部』も、
30年以上続く人気長寿番組となった。
★1983年
『第34回NHK紅白歌合戦』の総合司会を務める。
総合司会を務めたのは、史上初の快挙であった。
★1987年
音楽歌番組『ミュージックステーション』の2代目メインMCに就任。
★1990年代
『タモリのジャポニカロゴス』『プラタモリ』等でレギュラーを務める。
タモリさんだらけ状態!(笑)
★2002年
『笑っていいとも』が放送5000回を達成し、
「生放送単独司会世界最高記録」として、ギネスブックに登録される。
★2004年
『TOKYO坂道美学入門』を発売する。
★2008年
恩人の赤塚不二夫さんが逝去。
告別式で生涯初めて弔辞を読んだ。
★2010年
第2回伊丹十三賞を受賞する。
★2013年
※『タモリ倶楽部』が、第50回ギャラクシー賞テレビ部門特別賞を
受賞する。
※第16回みうらじゅん賞を受賞する。
★2014年
第62回菊池寛賞を受賞する。
★2016年
12月19日「SMAP×SMAP」の「ビストロSMAP」に、
最後のゲストとして出演する。
★2019年
テレビ知られざる皇室10の物語』の総合司会を務めた。
3人の中で一番年上ですが、実は芸歴は一番短いのです。
1988年から1999年まで、
毎年、年末年始に放送されていた新春特別番組の
「タモリ、たけし、さんまBIG3、世紀のゴルフマッチ」で、
ゴルフ歴も一番短かった事も手伝い、ラウンド中2人によく、
いじられたり、からかわれたりしていました。
2人を本気で見返そうと、お笑い抜きで(笑)、
腱鞘炎になるぐらいまで、仕事の合間に、
ゴルフの打ちっ放し場に通い詰める真面目な姿に、
芸能界でコツコツと努力して、現在の地位を築いた姿が、
ダブって見えてしまったものです。
これから先もずっと、安心して楽しめる、
安定した笑いを、もたらし続けていただきたいと思います。
いいとも!!
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。