岡田彰布さんは小学校時代、巨人の三塁手●●●●さんにヤジを飛ばしていた
皆さん、こんばんは。
阪神タイガースファン歴60年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、ミスターヒコボシです。
本日は「そら、そうよ」でお馴染みの、
1985年、我らが阪神タイガースが日本一に輝いたとき、
恐怖の5番打者を務めた岡田彰布さんの登場です!
阪神タイガースには選手として1980年~1993年まで、
監督(2軍監督含む)として1998年~2008年まで在籍しました。
プロフィール
生年月日 1957年11月25日
身長 175cm
体重 77kg
経歴
★小学校時代
※小学校5年生の時、当時まだ阪神タイガースが
少年野球チームを持っていなかった為、地元南海ホークスが、
運営していた少年野球チーム「リトルホークス」に所属して、
本格的に野球をスタートさせる。
※父親の会社の草野球チームにも参加。
背番号11をつけてマウンドに上がっていた。
「生観戦」していたが、ホームの一塁側の観客席ではなく、
敵の三塁側のスタンドでの観戦が多かった。
長嶋茂雄さんにヤジを飛ばすためだったとか・・・。
なかなか気の強い小学生だった様です。
★明星中学校時代
※3年師の時に中学野球大会大阪府大会で、見事優勝する。
引退試合に臨む前の、キャッチボールの相手を務めた。
★法要高等学校(現・関西大学北陽高等学校)
※1年時 1年生からレフトのレギュラーポジションを獲得する。
先制の2ランホームランを放つ等大活躍し、優勝に貢献。
夏の全国甲子園大会出場を果たす。
甲子園大会では、2試合出場で6打数3安打と活躍したが、
ベスト8で今治西高等学校に敗れる。
※2年時 新チームの秋の大会では、エースピッチャーとして、
惜しくも敗れたものの、ベスト4迄勝ち進み、
春の選抜高校野球大会出場を決める。
ところが・・・、チームの不祥事が発覚して、
出場辞退を余儀なくされる。
※3年時 夏の大会は、エースで4番バッターと、
文字通りチームの大黒柱として、大阪府予選大会決勝まで
勝ち進んだが、興国高等学校に惜しくも敗れ、
再び甲子園出場の夢は叶わなかった。
セレクション
早稲田大学の野球部のセレクションを受ける。
15打数14安打14本塁打という、
とてつもない打撃力を見せつけ、即合格を勝ち取る。
1回生時 「7番レフト」のレギュラーポジションを獲得し、
秋の大会から出場する。
当時、法政大学で「怪物」と呼ばれ、注目されていた、
江川卓投手から3安打を放ち、一躍注目される存在になる。
2回生時 サードへコンバートされる。打順も5番に昇格。
名実ともにチームの柱として、攻守にわたり大活躍した。
3回生時 秋の大会で三冠王を獲得した事により、
プロ野球のスカウトから注目を浴びる。
※チームは4年ぶりのリーグ優勝を飾る。
※第7回日米大学野球選手権大会で4番を務める。
4回生時 ※チームのキャプテンとしてリーグ優勝を果たす。
※全日本大学野球選手権大会では、中央大学に敗れ準優勝。
※第8回日米大学野球選手権大会で、2年連続4番を務める。
早稲田大学時代の成績と記録
★309打数117安打、20本塁打、81打点 打率379
★1977年 2回生の秋季リーグから5季連続で、
ベストナインに選出される。
★1978年 ※3回生の春季リーグの東大戦2回戦で、
史上2人目のサイクルヒットを達成する。
※秋季リーグで戦後4人目の三冠王に輝く。
プロ野球
★1979年
阪神タイガースにドラフト1位で入団する。
★1980年
オールスターゲーム第1戦で、代打ホームランを放つ。
22歳7ヶ月での代打ホームランは、
当時のオールスターの代打本塁打の最年少記録だった。
★1981年
初めて全130試合に出場して、打率289、打点76、本塁打20本の
活躍をみせる。
ポジションは、セカンドに固定された。
★1982年
初の打率3割をマークする。
★1985年
※4月17日 阪神甲子園球場での対巨人戦で、槙原投手から、
バース選手、掛布選手に続き、バックスクリーン3連続ホームランの
締めを放つ。
※8月、打率429、本塁打10本、31打点の活躍をみせ、
プロ入り初の月間MVPに輝く。
※ランディ・バースに次ぐ2位の打率342、35本塁打(リーグ4位)、
101打点(リーグ5位)という驚異的な好成績でチームのリーグ優勝、
日本一に大いに貢献した。
★1989年
※掛布選手の引退に伴って、大学時代のポジションだった
三塁手にコンバートされる。
※6月に月間8本のホームランを放ち、プロ入り2度目の、
月間MVPに選出される。
★1993年
その後、オリックスに入団した。
タイガースらしい選手
ランディ・バース選手、掛布雅之選手といった、規格外の強打者と、
クリーンアップに名を連ねていた岡田選手は、
何となく地味で、ともすれば影が薄いイメージを持たれている感じですが、
阪神タイガースを、いやプロ野球を代表する強打者であったという事実は、
残された成績や、記録に、如実に表われています。
ご本人が自覚されているかどうか、わかりませんが、
おとなしく、地味な感じで、口数が少ない岡田選手は、
いぶし銀で、玄人好みの「阪神タイガースらしい選手」の
代表格なのかも知れません。
オールドファンが多いのも頷けますね。
では、今日の所はこの辺で。
また、次回元気でお会いしましょう。