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発毛効果のあるブログ

約30年間薄毛と共に過ごしてきましたが、ある情報がきっかけで、薄毛治療を開始し、改善されつつあります。まさか61歳にしてこんなに改善されるなんて想像もしていませんでしたので、本当にビックリしました。おかげさまで副作用も全くないので、一体どこまで改善されるのか、楽しみしかありません。

真弓明信さんは中学時代陸上部の●●●●で準優勝した

皆さん、こんばんは。

阪神タイガースファン歴60年の超ベテラン、

7月7日七夕生まれの、

ミスターヒコボシです。

 

本日は、俳優バリのイケメン選手だった九州男児

 

今もカッコいい!!

 

真弓明信さんの登場です!

 

阪神タイガースに選手として所属したのは、

1979年~1995年

監督として2009年~2011年の、

3シーズンにわたって采配を取りました。

 

プロフィール

 

柳川高等学校⇒電電九州出身

1972年 西鉄ライオンズより←懐かしすぎる~!!

ドラフト3位に指名される。

右投、右打  遊撃手 二塁手 外野手

生年月日 1953年7月12日

身長 174cm

体重 75kg

 

経歴

 

★小学校6年生の時、同じ社宅に住んでいた原貢氏

(現・ジャイアンツ 原辰徳監督の父)が監督を務める

三池工業高校夏の甲子園大会で全国優勝し、

その優勝パレードを見て感動した事がきっかけで、

野球選手を志す。

 

★厚木中学校に入学後、本格的に野球を始める。

その身体能力の高さから、野球部以外の運動部も、

掛け持ちで参加。

陸上部では三段跳びで、

11m99cm←後1cmなんとかならんかったんか~い(笑)

を記録し、準優勝したことがある。

 

柳川高等学校

1年時 ベンチ入りを果たす。

2年時 ショート、サードとしてレギュラーを獲得。

当時のチームは「九州一の強豪」という評価を得ていたが、

残念ながら、3年間で1度も甲子園出場ならず。

 

★電電九州(社会人野球)

ショートのレギュラー選手と控え選手が同時に故障で、

いきなり1年目でショートのスターティングメンバーに

名を連ねる。

 

第43回都市対抗野球大会でベスト8となり、

日本産業対抗野球大会にも出場し、その時の活躍が認められ、

1972年のドラフト会議で西鉄ライオンズに、

 3位指名を受けてプロ野球の世界に飛び込む。

 

★1978年オフ 

田淵幸一選手、古沢憲司投手との「世紀のトレード」で、

若菜嘉晴捕手、竹之内雅史選手、竹田和史投手と共に、

阪神タイガースに移籍することになる。

当時所属していた球団、クラウンライターライオンズが、

西武ライオンズに売却され、チームが福岡県から埼玉県に移る事から、

引っ越しの準備中にトレードの話を突然、耳にしたらしく、

いかに電撃的だったかという事が、うかがい知れる。

 

★1979年

※移籍1年目からトップバッターとして、

 ショートのレギュラーに定着する。

※5月20日、中日ドラゴンズ戦で、自身2本目の、

 初回先頭打者ホームランを含むサイクル安打を、

 ナゴヤ球場で達成する。

※125試合出場、打率275、本塁打13本と、

 自身初の2ケタ本塁打を放ち、長打の一番打者として、

 充分な存在感を示した。

 

★1980年 

※トップバターで驚異の29本塁打を記録。

 (セリーグ5位タイ)

※10月12日

ナゴヤ球場での中日ドラゴンズ

ダブルヘッダーこれまた懐かし~い!!)で、

2試合連続初回先頭打者ホームランを達成!

 

1日2本の先頭打者ホームランって、

カッコ良すぎ~(笑)

 

★1982年 

130試合すべてに出場。打率293で初の、

打撃ベスト10の10位に入る。

 

★1983年

当時のセカンドのレギュラーだった岡田彰布選手の故障により、

二塁手に転向。打率353で首位打者のタイトルを獲得する。

慣れない二塁手で、ベストナインにも選出される。

 

男気

 

シーズン終了まで、残り10試合になった時、

首位打者のタイトルを確実にするために、

安藤統男監督から、打率が下がらない様に、

欠場を勧められるが、これを断固拒否して、

チームの勝利の為に、試合に出場した。

 

★1984年 

通算1000試合出場、通算1000安打を達成する。

 

★1985年

※新監督の吉田義男監督の指示で外野手(主に右翼手)に転向。

 

※トップバッターとして、打率322、34本塁打、84打点という、

 文句のつけようのない好成績で、リーグ優勝に貢献し、

 外野手のベストナインにも選出された。

 

日本シリーズでも、打率360,2本塁打と大活躍。

 2リーグ分裂後、初の球団日本一に貢献して、

 優秀選手賞にも選ばれた。

 

★1986年 

※2年連続で打率3割を達成!本塁打も28本放つ。

※7月6日、甲子園球場での対巨人戦、水野雄仁投手から、

 自身2回目の5試合連続本塁打を記録した。

 

もう、ホームランバッターやん!!

 

★1987年 

※10月13日、神宮球場での対ヤクルトスワローズ戦で、

 荒木大輔投手から通算41本目(セリーグでは38本目)の、

 初回先頭打者本塁打を記録した。

 

荒木大輔!鼻つまむ~(笑)

 

★1989年 

※7月23日、甲子園球場での対巨人戦で、

 桑田真澄投手からホームランを打ち、

 通算250本塁打を達成する!

 

一流4番バッタークラスの記録!!

 

 

★1994年

代打の切り札として、17安打、30打点と、

勝負強さを発揮。同年の代打30打点は、日本記録

 

★1995年

阪神・淡路大震災の影響で、満足な自主トレが行なえず、

バッティング不振に陥る。

そのまま、惜しまれながらも現役引退。

 

恐怖の1番バッター

 

初回、先頭打者本塁打の通算41本は、世界の盗塁王

福本豊さんに次ぐ、歴代2位の記録です。

 

今思えば、当時本当に味方で良かったと心底思う選手です。

 

プロ野球通算本塁打292本は「史上最強の1番バッター」の

称号にふさわしい記録だと思います。

 

無いものねだりと言いますか、どうしようもない事は

分かっていても、思わず叫んでしまいそうです。

 

今の阪神タイガースに欲しい!!

 

とほほ・・・・。

 

では、今日の所はこの辺で。

 

また次回、元気でお会いしましょう。

 

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