真弓明信さんは中学時代陸上部の●●●●で準優勝した
皆さん、こんばんは。
阪神タイガースファン歴60年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、俳優バリのイケメン選手だった九州男児、
今もカッコいい!!
真弓明信さんの登場です!
阪神タイガースに選手として所属したのは、
1979年~1995年
監督として2009年~2011年の、
3シーズンにわたって采配を取りました。
プロフィール
柳川高等学校⇒電電九州出身
1972年 西鉄ライオンズより←懐かしすぎる~!!
ドラフト3位に指名される。
右投、右打 遊撃手 二塁手 外野手
生年月日 1953年7月12日
身長 174cm
体重 75kg
経歴
★小学校6年生の時、同じ社宅に住んでいた原貢氏
その優勝パレードを見て感動した事がきっかけで、
野球選手を志す。
★厚木中学校に入学後、本格的に野球を始める。
その身体能力の高さから、野球部以外の運動部も、
掛け持ちで参加。
陸上部では三段跳びで、
11m99cm←後1cmなんとかならんかったんか~い(笑)
を記録し、準優勝したことがある。
1年時 ベンチ入りを果たす。
2年時 ショート、サードとしてレギュラーを獲得。
当時のチームは「九州一の強豪」という評価を得ていたが、
残念ながら、3年間で1度も甲子園出場ならず。
★電電九州(社会人野球)
ショートのレギュラー選手と控え選手が同時に故障で、
いきなり1年目でショートのスターティングメンバーに
名を連ねる。
第43回都市対抗野球大会でベスト8となり、
日本産業対抗野球大会にも出場し、その時の活躍が認められ、
1972年のドラフト会議で西鉄ライオンズに、
3位指名を受けてプロ野球の世界に飛び込む。
★1978年オフ
阪神タイガースに移籍することになる。
当時所属していた球団、クラウンライターライオンズが、
西武ライオンズに売却され、チームが福岡県から埼玉県に移る事から、
引っ越しの準備中にトレードの話を突然、耳にしたらしく、
いかに電撃的だったかという事が、うかがい知れる。
★1979年
※移籍1年目からトップバッターとして、
ショートのレギュラーに定着する。
※5月20日、中日ドラゴンズ戦で、自身2本目の、
初回先頭打者ホームランを含むサイクル安打を、
ナゴヤ球場で達成する。
※125試合出場、打率275、本塁打13本と、
自身初の2ケタ本塁打を放ち、長打の一番打者として、
充分な存在感を示した。
★1980年
※トップバターで驚異の29本塁打を記録。
(セリーグ5位タイ)
※10月12日
ダブルヘッダー(これまた懐かし~い!!)で、
2試合連続初回先頭打者ホームランを達成!
1日2本の先頭打者ホームランって、
カッコ良すぎ~(笑)
★1982年
130試合すべてに出場。打率293で初の、
打撃ベスト10の10位に入る。
★1983年
当時のセカンドのレギュラーだった岡田彰布選手の故障により、
男気
シーズン終了まで、残り10試合になった時、
首位打者のタイトルを確実にするために、
安藤統男監督から、打率が下がらない様に、
欠場を勧められるが、これを断固拒否して、
チームの勝利の為に、試合に出場した。
★1984年
通算1000試合出場、通算1000安打を達成する。
★1985年
※トップバッターとして、打率322、34本塁打、84打点という、
文句のつけようのない好成績で、リーグ優勝に貢献し、
外野手のベストナインにも選出された。
2リーグ分裂後、初の球団日本一に貢献して、
優秀選手賞にも選ばれた。
★1986年
※2年連続で打率3割を達成!本塁打も28本放つ。
自身2回目の5試合連続本塁打を記録した。
もう、ホームランバッターやん!!
★1987年
初回先頭打者本塁打を記録した。
荒木大輔!鼻つまむ~(笑)
★1989年
※7月23日、甲子園球場での対巨人戦で、
桑田真澄投手からホームランを打ち、
通算250本塁打を達成する!
一流4番バッタークラスの記録!!
★1994年
代打の切り札として、17安打、30打点と、
勝負強さを発揮。同年の代打30打点は、日本記録。
★1995年
阪神・淡路大震災の影響で、満足な自主トレが行なえず、
バッティング不振に陥る。
そのまま、惜しまれながらも現役引退。
恐怖の1番バッター
福本豊さんに次ぐ、歴代2位の記録です。
今思えば、当時本当に味方で良かったと心底思う選手です。
称号にふさわしい記録だと思います。
無いものねだりと言いますか、どうしようもない事は
分かっていても、思わず叫んでしまいそうです。
今の阪神タイガースに欲しい!!
とほほ・・・・。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。