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発毛効果のあるブログ

約30年間薄毛と共に過ごしてきましたが、ある情報がきっかけで、薄毛治療を開始し、改善されつつあります。まさか61歳にしてこんなに改善されるなんて想像もしていませんでしたので、本当にビックリしました。おかげさまで副作用も全くないので、一体どこまで改善されるのか、楽しみしかありません。

掛布雅之さんは巨人の●●選手の父親と高校時代チームメイトだった

皆さん、こんばんは。

阪神タイガースファン歴60年の超ベテラン、

7月7日七夕生まれの、

ミスターヒコボシです。

 

本日は、阪神タイガース

日本人本塁打球団記録、48本の記録保持者、ご存知、

4代目ミスタータイガース掛布雅之選手の登場です!

 

阪神タイガースに選手としては、

1974年~1988年まで在籍しました。

 

プロフィール

1973年 ドラフト6位

千葉県習志野市立習志野高等学校出身

右投げ 左打ち 三塁手

 

生年月日 1955年 5月9日

身長 175cm

体重 77kg

 

経歴

 

★小学校時代     野球以外にサッカー、剣道、水泳をやっていた。

           生来の左利きではなかったが、父の勧めで、

           左手を使う様になった。

 

千葉市立新宿中学校 1年時からサードのレギュラー。

           父の泰治さんが野球部の監督だったため、

           「父親が監督だから試合に出られる」と

           周りから陰口をたたかれる。

          

           そんな逆境にも負けず、

           当時からプロ野球選手を夢見て、

           野球部の練習から帰宅後も、自宅の庭で、

           新聞紙を丸めて作ったボール打ちと素振りをした。

 

衝撃のエピソード  

 

中学時代、野球部の監督でもある父「泰治」さんから

強烈なスパルタ教育を受ける。

「自分の息子に甘い監督とは思われなくないから」という理由で、

練習中に、父親から殴られたり、蹴られたりしたこともあったが、

三塁ベースを抱きかかえる様にして耐え←戦時中か~い?

最後まで音をあげずに野球に打ち込んだおしんか~い(笑)

 

今と時代が違うとは言え、かなりエグイ体験をしていますね。

私も年代が近いですが、サッカー部で「シゴキ」はありましたが、

ここまでヒドイ事は、隣で練習していた野球部でもなかったですね。

親子鷹はツライ!

 

習志野市立習志野高等学校   

 

1年時  3年生が引退した秋から、いきなり4番を任される。

2年時  夏の千葉県予選大会で、強豪、銚子商業に2-0で勝ち、

     東関東代表として甲子園に出場。

     残念ながら、1回戦で東洋大姫路高校に敗れる。

     (4番ショートで4打数1安打1打点)

 

★1973年 阪神タイガースにドラフト6位で入団

 

★1974年 プロ入り1年目 オープン戦で、

       当時ショートのレギュラーだった藤田平が、

       自身の結婚式で欠場した時「7番ショート」で初スタメン。

       太平洋クラブライオンズのエース東尾修から、

       4打数2安打と結果を残す。

 

★1975年 プロ入り2年目に三塁の定位置を獲得。

★1976年 打率325でベストナインに選ばれる。

 

★1978年 オールスターゲーム第3戦で、なんと、

       3打席連続ホームランを放つ!!

       

     ヨッ!千両役者!(笑)

 

★1979年 一気に長打力が花開いて、

       48本塁打で初の本塁打王に輝く。

 

★1982年 35本塁打、95打点で本塁打王打点王の二冠達成。

 

★1983年 ライバルの江川卓投手から、2打席ホームランを放つ。

       試合後に「ボールがどうぞ打ってください。

       と話しかけてきた」と驚きのコメントを残す。

       「ボールが止まって見えた」と現役時代に語った

       巨人の川上哲治さんの言葉と並び称される。

 

★1984年 37本塁打で3度目のホームラン王。

 

★1985年 4番で40本塁打、108打点、打率3割の好成績で、

       19年ぶりのリーグ優勝、初の日本一に貢献。

       ランディ・バース岡田彰布

       3人でクリーンアップを組み、

       3人計、129本のホームランを放つ。

       (バース54本、掛布40本、岡田35本)。

 

       4月17日の巨人戦

       甲子園球場で、槇原投手から3者連続で、

       バックスクリーンに飛び込むホームランを打ったのは、

       あまりにも有名な話。

 

★1988年 故障続きで、かっての打棒は影を潜め、

       惜しまれながら引退。

       通算349本塁打は、阪神タイガース

       球団最多記録。

 

安藤統男

 

育ての親。入団当時の阪神タイガースのコーチ。

掛布選手の叔父さんが、安藤さんの友人だった縁で、

阪神タイガースの秋季キャンプに参加し、

ドラフトで指名された。

 

阿部慎之助 

 

ジャイアンツの阿部選手の父親は、高校時代のチームメイト。

掛布選手が3番、阿部選手の父親が4番で甲子園出場。

 

江川卓投手

 

現役時代のライバルで同い年。

プロ初対決で、掛布選手がホームランを放つ!

1979年7月7日の、出来事でした。

 

ミスターヒコボシ若干21歳の頃(笑)

 

最後の対決は、三振に倒れる。1987年9月27日。

 

至宝

 

決して体格に恵まれていたわけではないのに、

3度の本塁打王は、凄すぎます。

 

子供たちの希望の星だった掛布雅之選手は、

阪神タイガース至宝です。

 

1軍監督の雄姿を是非見たかったのですが、

ちょっと、厳しいですかね?

 

今後も、何かしらの形で、阪神タイガース

拘わり続けて欲しいですね。

 

では、今日の所はこの辺で。

 

また次回、元気にお会いしましょう。

 

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