掛布雅之さんは巨人の●●選手の父親と高校時代チームメイトだった
皆さん、こんばんは。
阪神タイガースファン歴60年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、阪神タイガースの
日本人本塁打球団記録、48本の記録保持者、ご存知、
阪神タイガースに選手としては、
1974年~1988年まで在籍しました。
プロフィール
1973年 ドラフト6位
千葉県習志野市立習志野高等学校出身
右投げ 左打ち 三塁手
生年月日 1955年 5月9日
身長 175cm
体重 77kg
経歴
★小学校時代 野球以外にサッカー、剣道、水泳をやっていた。
生来の左利きではなかったが、父の勧めで、
左手を使う様になった。
★千葉市立新宿中学校 1年時からサードのレギュラー。
父の泰治さんが野球部の監督だったため、
「父親が監督だから試合に出られる」と
周りから陰口をたたかれる。
そんな逆境にも負けず、
当時からプロ野球選手を夢見て、
野球部の練習から帰宅後も、自宅の庭で、
新聞紙を丸めて作ったボール打ちと素振りをした。
衝撃のエピソード
中学時代、野球部の監督でもある父「泰治」さんから
強烈なスパルタ教育を受ける。
「自分の息子に甘い監督とは思われなくないから」という理由で、
練習中に、父親から殴られたり、蹴られたりしたこともあったが、
三塁ベースを抱きかかえる様にして耐え←戦時中か~い?
最後まで音をあげずに野球に打ち込んだ←おしんか~い(笑)
今と時代が違うとは言え、かなりエグイ体験をしていますね。
私も年代が近いですが、サッカー部で「シゴキ」はありましたが、
ここまでヒドイ事は、隣で練習していた野球部でもなかったですね。
親子鷹はツライ!
1年時 3年生が引退した秋から、いきなり4番を任される。
2年時 夏の千葉県予選大会で、強豪、銚子商業に2-0で勝ち、
東関東代表として甲子園に出場。
残念ながら、1回戦で東洋大姫路高校に敗れる。
(4番ショートで4打数1安打1打点)
★1973年 阪神タイガースにドラフト6位で入団
★1974年 プロ入り1年目 オープン戦で、
当時ショートのレギュラーだった藤田平が、
自身の結婚式で欠場した時「7番ショート」で初スタメン。
太平洋クラブライオンズのエース東尾修から、
4打数2安打と結果を残す。
★1975年 プロ入り2年目に三塁の定位置を獲得。
★1976年 打率325でベストナインに選ばれる。
★1978年 オールスターゲーム第3戦で、なんと、
3打席連続ホームランを放つ!!
ヨッ!千両役者!(笑)
★1979年 一気に長打力が花開いて、
★1982年 35本塁打、95打点で本塁打王と打点王の二冠達成。
★1983年 ライバルの江川卓投手から、2打席ホームランを放つ。
試合後に「ボールがどうぞ打ってください。
と話しかけてきた」と驚きのコメントを残す。
「ボールが止まって見えた」と現役時代に語った
巨人の川上哲治さんの言葉と並び称される。
★1984年 37本塁打で3度目のホームラン王。
★1985年 4番で40本塁打、108打点、打率3割の好成績で、
19年ぶりのリーグ優勝、初の日本一に貢献。
3人でクリーンアップを組み、
3人計、129本のホームランを放つ。
(バース54本、掛布40本、岡田35本)。
4月17日の巨人戦
甲子園球場で、槇原投手から3者連続で、
バックスクリーンに飛び込むホームランを打ったのは、
あまりにも有名な話。
★1988年 故障続きで、かっての打棒は影を潜め、
惜しまれながら引退。
球団最多記録。
安藤統男
育ての親。入団当時の阪神タイガースのコーチ。
掛布選手の叔父さんが、安藤さんの友人だった縁で、
阪神タイガースの秋季キャンプに参加し、
ドラフトで指名された。
阿部慎之助
ジャイアンツの阿部選手の父親は、高校時代のチームメイト。
掛布選手が3番、阿部選手の父親が4番で甲子園出場。
江川卓投手
現役時代のライバルで同い年。
プロ初対決で、掛布選手がホームランを放つ!
1979年7月7日の、出来事でした。
ミスターヒコボシ若干21歳の頃(笑)
最後の対決は、三振に倒れる。1987年9月27日。
至宝
決して体格に恵まれていたわけではないのに、
3度の本塁打王は、凄すぎます。
子供たちの希望の星だった掛布雅之選手は、
阪神タイガースの至宝です。
1軍監督の雄姿を是非見たかったのですが、
ちょっと、厳しいですかね?
今後も、何かしらの形で、阪神タイガースに
拘わり続けて欲しいですね。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気にお会いしましょう。