頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛法

発毛効果のあるブログ

約30年間薄毛と共に過ごしてきましたが、ある情報がきっかけで、薄毛治療を開始し、改善されつつあります。まさか61歳にしてこんなに改善されるなんて想像もしていませんでしたので、本当にビックリしました。おかげさまで副作用も全くないので、一体どこまで改善されるのか、楽しみしかありません。

たけしさんは高校時代野球部に所属しながら●●●●●も習っていた

皆さん、こんばんは。

薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、

7月7日七夕生まれの、

ミスターヒコボシです。

 

本日は、毒舌で破天荒なイメージがかなり強いのですが、

実は、デリケートで心優しい、ビートたけしさんの登場です!

 

 プロフィール

 

明治大学工学部出身(現・理工学部

生年月日 1947年1月18日

身長 168cm

体重 76kg

血液型 O型

コンビ名 ツービート

相方 ビートきよし

事務所 T,Nゴン

同期 笑福亭鶴瓶

 

経歴

 

★足立区立梅島第一小学校

母親が教育熱心だった事もあり、成績は優秀だった。

図画工作、算数が得意科目。

 

★足立区立第四中学校

母親の意向で近隣の中学ではなく、

進学校に越境入学した。

 

時代を考えると、母上、相当教育熱心!!

 

母親 北野さきさん 教育熱心エピソード1

子供の頃のある日、ビートたけしさんは母親から、

「遊びに連れて行ってあげる」と言われ、付いて行くと、

そこは、神田にある参考書を取り扱う本屋や卸問屋街だった。

勉強用の本を大量に購入し、遊びは終了したらしい。

 

遊びって・・・。

 

母親 北野さきさん 教育熱心エピソード2

ビートたけしさんは、小学校の頃から野球が大好きだったが、

教育熱心な母親に、野球をしている所を見つかると怒られるので、

グローブを新聞紙に包んで、土の中に隠していたらしい。

ところが、ある日、いつもの様に土の中から取り出してみると、

新聞紙の中のグローブが参考書に代わっていたらしい。

 

さっすが、たけしさんの母上!

全てお見通し(笑)

 

★東京都立足立高等学校

軟式野球部に所属するかたわら、

ヨネクラジムでボクシングも習っていた。

 

明治大学工学部(現・理工学部)機械工学科

※大学生活に、なかなか馴染めず、五月病を患う。

※大学2回生の時、家出同然で一人暮らしをスタートさせる。

※一人暮らしをスタートして、厳しい母親から解放された反動からか、

ほとんど大学に通わなくなり、新宿のジャズ喫茶でアルバイトの生活に、

どっぷりと浸かってしまう。

 

★1972年

芸人見習い志願として、浅草のストリップ劇場「浅草フランス座」で、

エレベーターボーイを務める。

 

★1974年

ビートきよし漫才コンビ「ツービート」を結成する。

当時、大阪で人気が出ていたB&Bの早口で、

しゃべりまくる漫才スタイルに触発され、

ツービートもスピードを速めてしゃべりまくるスタイルへ、

変貌を遂げていった。

また服装も、タキシードに蝶ネクタイスタイルから、

アイビールックに変更することで、旧態依然とした、

古い漫才像からの脱却を図った。

 

★1979年

※「ミキ&ミチ」の女性漫才師、内海ミキさんと結婚、

新婚旅行は、千葉県の犬吠埼

亀有のアパートで新婚生活を始めた。

 

※9月12日、父 菊次郎さん逝去する。

 

★1980年

漫才ブームが到来。毒舌ネタと毒舌漫才で、B&Bや

ザ・ぼんち等と一緒に一躍人気者となる。

 

※出演していた「スター爆笑座」の楽屋で、初代MCの、

せんだみつおさんと雑談中に、後にビートたけしさんの

代表的なギャグとなる「コマネチ!」が誕生した。

 

※フジテレビ「笑ってる場合ですよ!」で、ツービートは、

火曜日のレギュラーとなる。

 

★1981年

※元旦より、ラジオ番組「ビートたけしオールナイトニッポン」が

スタートする。

 

※5月よりフジテレビ系の『オレたちひょうきん族』が放送開始される。

 

★1983年

※以下列挙した当時のレギュラーのテレビ番組は、

全て高視聴率をマークした。

 

●天才、たけしの元気が出るテレビ!(日本テレビ

スーパージョッキー日本テレビ

オールナイトニッポンニッポン放送

オレたちひょうきん族(フジテレビ)

ビートたけしのスポーツ大将(テレビ朝日

●OH!たけし(日本テレビ

●痛快なりゆき番組風雲!たけし城(TBS)

世界まるごとHOWマッチ毎日放送

 

★1986年

たけし軍団の軍団員と共に、講談社のフライデー編集部を襲撃し、

暴行容疑等で、現行犯逮捕された。

 

★1994年

8月、バイク運転中に事故で重傷を負った。

 

★1997年

第54回ヴェネツィア国際映画祭で、映画『HANA-B』が、

日本作品として、実に40年ぶりとなる金獅子賞を受賞した。

 

★1999年

第52回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に、

映画『菊次郎の夏』で参加し、スタンディングオベーションを受ける。

 

★2005年

東京芸術大学の大学院映像研究科の特別教授及び、

映画専攻長に就任する。

 

★2008年

第30回モスクワ国際映画祭で、特別功労賞を受賞する。

 

★2010年

フランス芸術文化勲章のコマンドワール章を受章。

 

★2016年

アカデミー賞を主催している米映画芸術科学アカデミーから

ライター部門での会員候補に選定される。

 

長期にわたり、テレビ、ラジオ、映画を通じて、

私たちを幸せな気分にさせてくれているビートたけしさんは、

日本を代表するエンターティナーだと思います。

 

毒舌ぶりばかリがクローズアップされていますが、

本当に繊細な心の優しさを持った方です。

 

特に印象的だったのは、フィギュアスケートで、浅田真央さんが

メダルを逃した2014年の「情報7DAYSニュースキャスター」で、

「真央ちゃんみたいなのはね、メダルとれなくたってね、

感動があるんだよ、だからいいんだよ」と、いつになく包み込む様な、

気遣いにあふれた、やさしい口調でのコメントでした。

 

「メダルを取れなくても良い」といった発言は、普通はバッシングの

対象になりやすい事もあって、中々言えない所ですが、

包み込む様な優しさが伝わるコメントは、見ている方々にも、

多くの共感が得られるという事でしょう!

 

では、今日の所はこの辺で。

 

また次回、元気でお会いしましょう。

 

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