田中美佐子さんが芸能活動を一時休止した理由
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、デビュー当時個性を出す為に事務所の方針で無理して、
クールなツッパリキャラを演じていたという、
女優の田中美佐子さんの登場です!
プロフィール
東洋女子短期大学英語英文科出身(現在は閉校)
生年月日 1959年11月11日
身長 163cm
血液型 O型
経歴
★幼少期
14歳まで暮らしていた。
※父親は、地方公務員で県庁の職員だった。
※普段着から制服まで、服は全て母の手作りだったので、
いつか既製服を着てみたいと思っていた。
★小学校時代
※砂浜や山林などを走り回って遊ぶ、かなり、おてんばな娘だった。
※海にいた、軟体動物アメフラシを平気で獲って、食べていた。
※将来の結婚相手は、漁師さんが良いと思っていた。
※少しだけ目と目が離れている感じだったので「ヒラメ」という
あだ名を付けられていた。
★中学校時代
※軟式テニス部に所属していた。
※男子とはグループ交際をしていた。
※島が大好きだったので、父親の転勤で松江に引っ越す時
「島に残る」と駄々をこねた。
※松江に引っ越した当初は、その都会っぷりに、
カルチャーショックを受けた。
★島根県私立松徳女学院高等学校(現:松徳学院高等学校)
※中学に引き続きテニス部に所属していた。
※父親は昔気質の人で「ジーパンは異国の服だ」と言って
はかせてもらえなかった。
※郷ひろみの夢を、ほぼ毎日見るほどの大ファンで、
高校3年間で7回もコンサートに行った。
※コンサートに着ていく服も母親の手作りで、
「GO」模様のワンピースだった。
※高校3年の時、年下の男子と交際していた。
★東洋女子短期大学英語英文科
※兄2人が東京に住んでいたので、東京の大学を選んだ。
※実は、上京するまで電車に乗ったことがなかった。
※大学の近所の寮に入って、学生生活を送った。
※上京した当初、一人で繁華街に行ったとき、
人の多さに目眩がして、歩くことができなくなり、
いつのまにか、失神していた。
※短大入学後、女優を目指し、劇団ひまわり青年部に入所した。
※短大のダンス部にも所属したので、劇団のレッスンなどもあって、
正直、学生時代は遊べなかった。
※電車に乗ると、必ずと言って良いほど、痴漢に遭遇し、
車両を移動して逃げていた。
★1981年
※短大 卒業後、TBSのテレビドラマ「想い出づくり」で
女優デビューした当初の芸名は「田中美佐」だった。
★1982年
※中年男性と女子大生という奇妙な同棲生活を描いた
「ダイアモンドは傷つかない」で映画初主演し、
第6回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。
※ヌードが嫌だという理由で、芸能活動を一時休止した。
佐藤さんの力添えにより、浅井企画に移籍し、女優業を再開した。
★1996年
柴門ふみさんの原作漫画「Age35」のフジテレビ系のテレビドラマ
「Age35恋しくて」に島田朱美役で出演し、
平均視聴率19.3%をたたき出し、
最終回は28,.1%という人気ドラマとなった。
★2005年
育児に専念するため、女優業を一時的に休んでいたが、
TBS系のテレビドラマ「ブラザー・ビート」で肝っ玉母ちゃん役を
見事に演じ、女優復帰を果たした。
★2006年
「14才の母」の主人公未希の母親、一瀬加奈子を熱演し、
番組冒頭のナレーションも務めた。
★2009年
NHK大河ドラマ第48作「天地人」に直江兼続たち兄弟の母「お藤」役で
出演した。
★2018年
「獣になれない私たち」に、
京谷の母、花井千春役で出演した。
自然体
デビュー当初のクールなツッパリキャラから、可愛い清楚系のイメージへと
徐々に変化させて来ましたが、田中さんとテレビドラマ「十年愛」で
共演した、ダウンタウンの浜田さんに「意外と男っぽい姐さんキャラ」を
暴露されてから、一気に肩の力が抜けたかの様に、ありのままの、
自然体姿でバラエティ番組等に出演し、最近は特に「ガハハッ」と
豪快に笑いながら、毒舌をはいても嫌味がなく、
清潔感のある、ちょっとキレイな面白いおばさんキャラで、
楽しませてくれています。
女優としても、今後年齢に応じた渋い役を演じる機会も増えるでしょうし、
楽しみですね。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。