薬師丸ひろ子さんの中学時代のあだ名は●●●パン
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、中学生の時からすでに、高倉健さんと共演するなど、
女優として活動し、高校2年の時「セーラー服と機関銃」で、
大ブレイクした、薬師丸ひろ子さんの登場です!
プロフィール
生年月日 1964年6月9日
身長 155cm
血液型 A型
経歴
★幼少期
※東京都渋谷区の日赤病院で生まれた。
※港区青山の両親が共働きの家庭で育った。
※両親と祖母と姉の5人家族だった。
※0歳児の時に、姉の膝の上に乗って写真を撮られた記憶が、
何故か鮮明に残っている。
※両親が共働きだったこともあり、躾に厳しい祖母に育てられ、
よく叱られた。
※髪型は、おかっぱだったが、前髪が少しでも伸びると、
すぐに祖母に切られた。
※祖母が作ってくれたお弁当は、毎日おにぎり3個に、卵焼きと
漬物だったので、フタで隠しながら食べていた。
※原宿幼稚園に通っていたが、髪がカールした園児が多く、
鍋を被った様な直角おかっぱ頭に、劣等感を持っていた。
★小学校時代
※小学校1年の時、学校で38度の熱が出ても、
家に連絡しようとする先生に、激しく抵抗した。
※抵抗した理由は、幼稚園の頃、ケガをして迎えに来てくれた
明治生まれの祖母が、人通りの多い青山通りを
、おんぶして帰ったため、大変恥ずかしいのと、
申し訳ない気持ちが強かったので、小学生になったら、
迎えに来てもらうのは、絶対にやめておこうと
心に決めていたためだった。
※活発で明るい性格だったので、クラス委員をやっていた。
※得意科目は体育で、足が速かったので、運動会の時は、
いつもリレーの選手だった。
※小学校低学年の時、「ベン」という動物パニック映画を見に、
男子2人、女子2人のダブルデートをしたことがある、
おませな女の子だった。
※映画「翔んだカップル」で恋人役だった俳優の
鶴見辰吾さんは、幼馴染みで、幼稚園と小学校の同級生だった。
★東京都港区青山中学校
※中学でも、ずば抜けて足が速く、毎年リレーの選手に選ばれていた。
※顔が結構、真っ黒に日焼けしていたので「フライパン」という
あだ名をつけられていた。
※中学1年で映画「野性の証明」のオーディションで2224人の
応募者の中から見事に勝ち抜いて出演することになった。
※翌年、2年生になった1978年にこの映画で、
高倉健さんと親子役で共演して、映画デビューを飾った。
※14歳の誕生日に、高倉健さんにラジカセをプレゼントしてもらった。
※高倉健さんとは、大人になってからも、同じスポーツジムに通って、
よく一緒に食事をさせてもらった。
※「野性の証明」に出演した後は、女優を続けるつもりはなかったが、
撮影する時間は、放課後と夏休み、冬休みだけで、その他は普通の
学生と同じ生活が出来る様にすると事務所に説得され、
仕事を続けることになった。
★東京都立八潮高等学校
※歌が好きで、合唱部に所属していた。
※中学の頃からよく両親に、京都や奈良に連れていってもらい、
考古学者に将来なりたいと思った時期があった。
※高校1年の時に相米慎二監督の「セーラー服と機関銃」に主演し、
大ヒットした。
※映画の主題歌「セーラー服と機関銃」を歌い、歌手デビューも果たし、
オリコン1位のヒット曲となった。
※高校3年になった1982年は、大学受験の為に仕事を控えると
休業宣言したが、翌年公開する、松田優作さんと共演した『探偵物語』
だけは、撮影の仕事を受けた。
★1984年
※森田芳光監督の『メイン・テーマ』に小笠原しぶき役で主演した。
※澤井信一郎監督の『Wの悲劇』に主演し、非常に高い評価を受け、
ブルーリボン主演女優賞を受賞し、興行的にも成功した、
代表作ともいえる映画となった。
★2005年
深みのある母親役を熱演し、数々の賞を受賞した。
※報映画賞助演女優賞
※日刊スポーツ映画大賞助演女優賞
エンターティナ―
先日、12月4日に放送されたフジテレビ系の歌番組
「FNS歌謡祭」に出演し、中島みゆきさんの名曲「時代」と、
自身のヒット曲「メイン・テーマ」の2曲を伸びやかな、
透明感のある声で歌い、観客を魅了していました。
素晴らしいですね。
エンターティナ―とは、まさに薬師丸さんみたいな
人のことを言うのだなと、つくづく思いました。
今後の、より一層の活躍が楽しみです。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。