竹野内豊さんが高校入学後、即パーマをかけたのは何故?
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、ファッション誌のモデルを経て、イケメン俳優として、
数多くのテレビドラマや映画で主役を張り、日本を代表する俳優となった
竹之内豊さんの登場です!
プロフィール
東京都豊島区私立豊南高等学校出身
生年月日 1971年1月2日
身長 179cm
体重 63kg
血液型 O型
経歴
★幼少期
※東京都調布市に生まれ、間もなく豊島区池袋に移り住んだ。
※両親と2歳年上の姉の4人家族で、非常に仲が良く
笑いの絶えない明るい家庭に育った。
※父親は自衛官で、躾には厳しかった。
※ヤンチャな性格で、姉と二人で外に出て走り回って遊んでいた。
★埼玉県所沢市立西富小学校
※小学1年の時に、埼玉県所沢市に引っ越し、転校先で早々に
イジメられたが、やり返してケンカになった。
※絵画教室に通った結果、感性が磨かれた。
※器械体操を習っていたのでバク転が出来た。
※近所に住んでいた年上の男の子と仲良くなり、
川で一緒によく釣りをして遊んだ。
※5,6人の友達と、いつも一緒に山や川を探検して遊んだ。
★埼玉県所沢市向陽中学校
※マスコミに取り上げられ、紹介されるほど校則が厳しい学校だった。
※「タカケン」というあだ名をつけられていた。
※進学塾には真面目に通って、勉強していた。
※洋画が好きで、よく映画を観に行った。
※同級生だけではなく、下級生の女の子にも人気があり、
「所沢の東山」と呼ばれ、有名だった。
※卒業式ではボタンを全部取られ、第2ボタンは
壮絶な奪い合いとなった。
★東京都豊島区私立豊南高等学校
(当時は男子校、現在は男女共学)
※主な卒業生には、俳優の松田優作さんやタレントの工藤兄弟がいた。
※中学の時の校則が厳しかった反動で、入学後すぐにパーマをかけた。
※沢山の種類のアルバイトを精力的にやって、中学の頃から欲しかった、
念願のバイクを購入した。
※夜のアルバイトで疲れ果て、朝のホームルーム終了後に寝てしまい、
目が覚めると、終業のホームルームをやっていた事もあった。
※男子校で、硬派を気取っていたので、高校時代に女の子と、
付き合った事はなかった。
※高校3年生の時に、母親と姉が勝手に、講談社のファッション誌
「チェックメイト」のモデルのオーディションに応募して、
採用されたのがきっかけで、モデルになった。
母上も、姉上も、カッコイイ!と
思っていたのでしょうね(笑)。
※父親には大反対されたが、モデル業に専念するため、
大学への進学はしなかった。
※モデルになったばかりの頃は、ファッション誌だけではなく、
スーパーのチラシのモデルの仕事もこなしていた。
★1994年
「ボクの就職」に、カネ正食品の新入社員、佐々木三四郎の役で、
俳優デビューを果たした。
★1995年
日本テレビ系のテレビドラマ「星の金貨」に、医者の永井拓巳役で出演し、
第33回ゴールデンアロー賞放送新人賞に輝いた。
★1997年
フジテレビ系の「月9」で放送された「ビーチボーイズ」に、
反町隆史さんとダブル主演し、平均視聴率23,7%、
最高視聴率26.5%を記録する大ヒットドラマとなり、出世作となった。
★2001年
前述した様に、自身も小学校の頃に絵画教室に通っていて、
元々興味のあった、絵画の修復士を志す主人公の阿形順正役で、
イタリアのフィレンツェを舞台にした映画
優秀主演男優賞を受賞した。
★2003年
TBS系列で放送された、ヤンキー先生こと
義家弘介さんをモデルにしたテレビドラマ「ヤンキー母校に帰る」に
主演し、月間ギャラクシー賞・個人賞・年間個人賞と、
第12回橋田賞個人賞を受賞した。
★2011年
平山秀幸さん監督の映画「太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男ー」で
実在した主人公の陸軍大尉、大場栄を熱演し、第54回ブルーリボン賞
主演男優賞を受賞した。
★2015年
アメリカの映画情報サイト「TC Candler」が発表した
「世界で最もハンサムな顔100人」で、63位に入った。
努力家
端正な顔立ちだけがクローズアップされがちな感じの、
竹野内豊さんですが、周りのスタッフには
「非常にストイックで努力家」であると、もっぱらの評判です。
映画の発表などで披露する、とても独学とは思えない英語力の高さが、
その評判を如実に表している様に思います。
渋い声も魅力的な竹野内豊さんの、今後一層の活躍を
期待している女性ファンも多いことでしょう。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。