西島秀俊さんの幼少期のトラウマ
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、鍛え上げた細マッチョと、高い演技力で、
多くの女性ファンから支持されている、
俳優の西島秀俊さんの登場です!
プロフィール
横浜国立大学工学部生産科中退
生年月日 1971年3月29日
身長 178cm
体重 65kg
血液型 A型
経歴
★幼少期
※実家は八王子の高尾山の近くの新興住宅地で、
両親と姉の4人家族だった。
※父親は、京都大学出身のエリートで、エンジニアから出世して、
東芝の関連会社の社長を務めていた。
※幼稚園の時、3月29日生まれでクラスで一番生まれたのが
遅かった事もあり、折り紙の授業について行けず、西島さんだけが、
居残りをして折り紙を折る練習をさせられた為、トラウマになってしまい、
大人になった今でも、折り紙を見るとテンションが下がってしまう程、
心に深い傷を負った。
※幼稚園の年少組の時、キグチ先生に初恋をした。
※父親は几帳面な性格で、家族旅行の移動スケジュールが、
旅行会社の添乗員さん並みに、細かく決められていた。
★東京都八王子市立長房小学校
※小学校の頃から映画が大好きで、沢山の映画を観ていた。
※とてもおとなしい性格で、口数も少なく、何かあれば、
すぐに泣いてしまう様な子供だった。
※姉は体が大きく、学校でも有名なおてんばだったので、
「西島の弟」と知らない生徒からも、よく言われた。
※給食のコッペパンをつぶして食べるのが流行っていて、
何故か楽しくて、つぶして食べていた。
※部活動はせず帰宅部だった。
※口下手で、周囲から何か言われても言い返せず、
悔しい思いをしていた。
※このままだと不登校になるのではないかと、
当時の担任、市原展治先生はいつも心配していた。
※成績は中ぐらいで目立たず、男子校だったので、
女の子との付き合いも全くなかった。
※父親は仕事が忙しく、いつも帰宅するのが遅かったので、
夕食は、夜の9時から、家族全員で食べていた。
※都内でも有数の進学校で、毎年、東大、京大といった
最難関大学に進学する生徒を、多数輩出している。
※バスケットボール部に入部し、徐々に部活仲間との
付き合いも増え、活発な生徒に変化していった。
※ロックバンドを結成し、ギターを担当するほど
明るい性格になっていた。
※男子校だったが、年に一度は友達数人と一緒に、
遊園地に遊びに行っていた。
※他校の女子高生との出会いを期待して、毎年遊園地に
行っていたが、結局コーヒーカップを超高速スピードで回して、
帰ってくるだけだった。
★横浜国立大学工学部生産工学科
※父親によく、モノを作る仕事に就くように言われていたので、
理系の大学に入学した。
※女性が少ない大学ということもあって、チャラチャラせず、
講義も真面目に受けていた。
※実家から片道2時間かかって大学の通いながら、数学の家庭教師の
アルバイトをしていたので、結構ハードスケジュールだった。
※当初家庭教師は、近所の中学生一人だけだったが、指導法が好評で、
最終的には6人の中学生に勉強を教えていた。
※大学在学中は将来、映画の裏方の仕事をやりたいと考えていた。
※裏方志望だったが、1回生の時、大学の先輩の勧めで、
『アクターズスタジオ第一期生』のオーディションを受け、見事に合格し、
テレビ朝日の藤田まことさん主演の刑事ドラマ「はぐれ刑事純情派5」に
新人刑事の中上剛役で出演し俳優デビューを飾り、半年間レギュラーを務めた。
★1993年
フジテレビ系の「月9」で放送された、石田ひかりさん、筒井道隆さん、
木村拓哉さん主演の「あすなろ白書」松岡財閥の御曹司、松岡純一郎役で出演し、
最高視聴率31,9%の記録に貢献した。
★1994年
映画初出演を果たした。
★1999年
※黒沢清さん監督の映画「ニンゲン合格」で役所広司さんと共演し、
映画初主演を果たした。
※初主演での演技が認められ、第9回日本映画プロフェッショナル大賞
主演男優賞に輝いた。
★2005年
萩生田さん監督の映画「帰郷」で主人公の晴男を演じ、
第15回日本映画プロフェッショナル大賞主演男優賞と、
第20回高崎映画祭最優秀主演男優賞を受賞した。
★2011年
イラン出身のアミール・ナデリさん監督の映画「Cut」に主演し、
第26回高崎映画祭最優秀主演男優賞と、第21回日本映画
プロフェッショナル大賞主演男優賞に輝いた。
充電期間
順風満帆で俳優人生を歩んできたかの様に思われている
西島さんですが、実は大変な時期を過ごしています。
アイドル路線を求めてきた大手所属事務所から、
方向性の違いを感じて離れていった
1997年から2002年までの5年間は、
あからさまに、干されてしまった格好で、民放テレビ出演は、
全くなくなってしまいました。
ただ、干されていた間も、西島さんは腐ることなく、
食事を取る時間さえ惜しんで、映画館に入り浸り、
自身の演技力向上のために、必死で勉強していました。
役作りのために年間300本以上も、ハシゴして
映画を見続けていたのです。
主演したことをきっかけに再び注目され、復活への道を
歩むことができました。
地道な努力によって培われた高い演技力は、
今後益々大輪の花を咲かせ続けることでしょう。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。