西田敏行さんは中学時代●●●●だったのでモテたらしい
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、福島県出身なので東北ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉会長として、
名を連ねていますが、実は、我らが
阪神タイガースの大ファンとして、知る人ぞ知る、西田敏行さんの登場です!
西田さんは1979年に、いしいひさいちさん
原作の「がんばれ!!タブチくん!!」で、
主人公のタブチくんの声を担当しました。
映画のモデルになったミスタータイガース、
田淵幸一さんとは、今でも親交があるそうです。
プロフィール
生年月日 1947年11月4日
身長 166㎝
体重 80Kg
血液型 O型
経歴
西田敏行さんが4歳の時、実父が病気で他界し、その後実母が再婚しようとした相手に、
同じ年の男の子がいた為、5歳の時、子宝に
恵まれなかった実母の姉である、叔母夫婦に
養子として迎え入れられた。
邦画が好きだった養父と、洋画が好きだった
養母に連れられ、映画館に映画をよく見に行った。
バレーボール部に所属した。
この頃は痩せていてイケメンだったので、
他校の女子が応援に来る程人気があり、
モテたらしい。
★明治大学附属中野高等学校
※俳優を目指す為に上京し、親戚の家に
下宿させてもらう。
※バレーボール部と演劇部に所属した。
※入学と同時に、本格的に役者を目指して
日本演技アカデミー夜間部にも入り、
修行をした。
※日本演技アカデミーの昼間部に移る為、
大学を中退する。
★1967年
大学を中退した翌年には『渥美清の泣いてたまるか』(TBS)にテレビ俳優として、
早くもデビューを果たした。
★1968年
日本演技アカデミーを卒業後、より一層
演劇の勉強をするために、2年間劇団青年座の俳優養成所に入所した。
★1970年
※7月の青年座公演『情痴』(作:西島大)で初舞台を踏む。
★1971年
10月に公演された『写楽考』(作:矢代静一)で、演技者を見込まれ、早くも主役に
抜擢された。
★1976年
※役者として、不遇の時を数年経て、
『いごこち満点』(TBS)と『三男三女婿一匹』(TBS)で、コミカルで個性的な演技と愛嬌のある顔立ちと体型で一躍人気を博した。
※森繁久彌さんのアドリブにも堂々と渡り合い大器の片鱗を見せた。
★1977年
★1978年
★1980年
※『サンキュー先生』(テレビ朝日)で主演。
★1981年
※『もしもピアノが弾けたなら』が大ヒットする。
★1986年
※映画『植村直己物語』に主演。
※1984年2月に、マッキンリーで消息を絶った冒険家、植村直己さんは明治大学農学部の先輩でもあった。
★1988年
映画『釣りバカ日誌』シリーズに三國連太郎さんとのコンビで出演。約22年間に渡る長期シリーズとなった。
★1994年
東宝ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き』に3代目テヴィエ役として出演。
その後7年間出演し続けた。
★2001年
『探偵!ナイトスクープ』の2代目局長に就任する。
★2008年
演劇界での長年に渡る業績が認められ、
紫綬褒章を受章した。
★2009年
日本俳優連合第5代理事長に就任。
★2010年
22年という長きに渡り、国民に笑いと感動を与えて続けた『釣りバカ日誌』シリーズで、
三國連太郎さんと共に、第33回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞した。
★2011年
甚大な被害を受ける。
※支援ライブへの出演等、積極的な支援活動を行なうと共に、月に2,3回は地元の郡山市に戻り、長期滞在する生活を送り続けた。
★2012年
社団法人日本喜劇人協会主催の喜劇人大賞を受賞した。
★2018年
春の叙勲で旭日小綬章を受章した。
涙もろく、情に厚い人柄が滲み出ていた
『探偵!ナイトスクープ』での優しい語り口が聞けなくなるのは、寂しい限りです。
心筋梗塞で入院したり、自宅ベッドから転落して首を痛めたり健康面が心配されますが、団塊世代の国民的な役者さんの代表として、今後の活躍にも大いに期待したい所です。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。