水谷豊さんは中学時代●●部に所属しオリンピックを目指していた
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、奥さんである元キャンディーズの
伊藤蘭さんの事を、結婚して30年経った今でも「蘭さん」と呼んでいる、シャイでナイスガイの水谷豊さんの登場です!
プロフィール
生年月日 1952年7月14日
身長 168㎝
体重 60Kg
血液型 A型
経歴
★東京都立川市立第四小学校
※小学校2年生の時に、北海道から転校してきた。
※リトルリーグで野球をして、大会で優勝をした経験もある。
※テレビの世界に興味を持ち「将来、
この小さな箱(テレビ)に入ってみせる」という野望を持っていた。
※当時は演劇よりも大相撲にあこがれ、力士になりたかった。
★東京都立川市立第一中学校
※陸上部に所属し、オリンピックを目指し練習に励む。
※中学一年生の時、劇団ひまわりに入団し、当初は、
エキストラをこなしていた。
★1968年
※『バンパイヤ』(フジテレビ)のオーディションに合格し、
デビューと同時に、主役に抜擢される。
※第一話では、なんと原作者である、あの手塚治虫さんとの
共演を果たした。
※1970年
『その人は女教師』(共演:岩下志麻さん)で、
映画デビューを果たした。
※『小さな箱(テレビ)』に入るという目的を果たしてしまい、
自分には違う道があるかも知れないという考えも出てきて、
大学受験も選択肢になったこともあり、劇団ひまわりを辞めて、
一旦、芝居も辞める形を取った。
浪人時代
※東京商船大学(現:東京海洋大学海洋工学部)の受験に失敗し、
働きながら、浪人生活を始める。
※将来に不安を感じ、発作的に家出をするも、行くあてもなく、
2ヶ月間、近所の公園のすべり台の上で野宿生活をした。
※中学時代にお世話になったプロデューサーから、
「もう一度、役者をやらないか。」と連絡が入り、アルバイトの様な、
軽い気持ちで、役者の世界に戻った。
★1972年
『太陽にほえろ!』(日本テレビ)の第一回に、犯人役で出演する。
★1974年
ショーケンこと、萩原健一さん主演の『傷だらけの天使』に出演した。
「アキラ~」「兄貴ぃ~」(笑)
★1975年
※映画『東京湾炎上』に出演した。
※事前に渡された脚本を読んで、予定だった役柄と真逆の立場の、
「テロリスト役」を自ら志願し、日本人が大義の為、同胞の日本人を
追い詰める役を演じた。
★1976年
キネマ旬報賞主演男優賞を最年少で受賞した。
★1977年
※『赤い激流』でピアニスト役を演じた。
※ピアノは全くの素人で弾けなかったが、35万円で
ピアノを購入し、猛特訓の末、4日目には「エリーゼのために」を、
全曲弾けるようになり、ピアノの先生を驚かせた。
★1978年
※10月『熱中時代(教師編)』の主演で、大ブレイクし、
最高視聴率46.7%という、驚異的な数字を記録した。
※主人公の北野広大先生のキャラクターが「理想の教師像」として、
社会現象となった。
※その後放送された『熱中時代(刑事編)』も引き続き、
人気を博した。
ジグザグ~♪ 気取った~♪(笑)
★2008年
『相棒』での演技力が高く評価され、同じく主演を務めた、
★2011年
第24回、日本メガネベストドレッサー賞、芸能界部門を受賞した。
★2017年
主演映画『TAP THE LAST SHOW』で
念願の監督デビューを果たした。
親近感
※長年に渡り、高視聴率を続けているドラマ『相棒』での
インテリジェンスな役柄が、そのまま水谷さん自身の
イメージとなって定着してしまっている方も多いかと思います。
※ただ、実際の水谷さんは10年間も住み続けている自宅の中で
迷子になる(どんだけ豪邸!(笑))程、方向音痴だったり、
笑い出すと止まらなくなる癖がある様で、モニター検証で
一緒に見ていた神戸尊役の及川光博さんに、静かにする様
注意されたりする事もあったりと、結構お茶目な面を
持ち合わせています。
※人気のシーンになっている、ティーポットの紅茶を
実際の撮影では、しばしば飛び散る、熱い紅茶による火傷を
ガマンしていると聞くと、一層親しみを感じてしまいます。
もはや、熟練の域に達した感のある水谷さんには、これからもずっと
味のある演技を続けて、私たちを大いに楽しませて頂きたいものです。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。