木梨憲武さんは2軍、三谷幸喜さんは13軍?
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、お笑いだけではなく、俳優、アーティスト、声優に至るまで、
マルチな才能をいかんなく発揮し、活躍している、
お笑いコンビのとんねるずのメンバー「ノリさん」こと
木梨憲武さんの登場です!
プロフィール
帝京高等学校出身
生年月日 1962年3月9日
身長 177cm
体重 60kg
血液型 O型
経歴
東京都世田谷区のサイクリング自転車店「木梨サイクル」を
経営する父親と母親と妹の4人家族だった。
★東京都世田谷区立塚戸小学校
※FC東京のサッカースクールの八幡山スクールに所属していた。
※このスクールには、脚本家の三谷幸喜さんも所属していて、
13軍でしたが、木梨さんは2軍に居て、当時の三谷さんにとって
木梨さんは、雲の上の存在だった。
13軍迄あることの方が、驚きですね!
ひょっとして14軍以降も存在していた?
どんだけ~!!(笑)。
※実家がサイクリング自転車店経営ということもあって、
一人で自転車に乗って遠出することも多く、新宿、渋谷は、
自転車で行くことが出来る一番遠くの都会だった。
一人で自転車に乗って行ったことがあった。
小学生の体力で、これはスゴイ!
自転車の耐久性もスゴイ!(笑)。
★東京都世田谷区立千歳中学校
※中学に入るまでは、クラスで一番小さい方だったが、
3年間でかなり身長が伸びた。
※サッカーを通して、チームワークを重視し、周囲を思いやる
心配りの精神が、この頃から養われていった。
★東京都私立帝京高等学校
※既に全国制覇を果たしていた、名門のサッカー部に入部してみると、
130人の部員の内、レギュラー枠を超えてしまう20人ほどが、
全国の各地域の中学選抜チームのトップ選手達で、レベルは相当高かった。
※レギュラーの中には、スパイクをもらっていたり、
そういった凄い人たちと、友達になれるのが嬉しかった。
※サッカー部の中で、すぐに人気者になり、先輩にも可愛がられ、
この当時から宴会芸的なことをやったりして、
チームの盛り上げ役的な存在だった。
※サッカー部の人気者だった木梨さんは、野球部の人気者だった、
石橋貴明さんと出会い、意気投合して、コンビを組んで
ネタをやったりしていた。
※バラエティ番組「TVジョッキー」に「ザ・チャレンジ」という、
素人参加コーナーがあり、ピンのモノマネで出場し、
5代目のチャンピオンに輝いた。
※この番組のグランドチャンピオン大会に出場した際、
同番組の常連出場者だった石橋さんが友情出演し、
事実上、これがテレビでの初共演となった、
★1980年
※高校卒業後、東京都内の東京ダイハツ販売に就職し、
杉並営業所に配属された。
※7月に石橋さんとコンビ名「貴明&憲武」で、
お笑いオーディション番組「お笑いスター誕生!!」に出場した。
★1981年
「お笑いスター誕生」で6週勝ち抜いたときに、
現在のコンビ名「とんねるず」に改名した。
★1982年
4月にようやく「お笑いスター誕生!!」で、
10週連続勝ち抜き、グランプリを獲得し、プロデビューを果たした。
★1986年
※森田芳光さん監督のコメディ映画「そろばんずく」に、
時津風わたる役で出演した。
※1994年に結婚する安田成美さんとは、
この映画の共演がきっかけで出会った。
★1996年
第47回NHK紅白歌合戦に、演歌歌手の山本譲二さんと構成し、
北島三郎さんが全国的にプロデュースした演歌デュオユニット
「憲三郎&ジョージ山本」として出場した。
★1998年
フジテレビ系列の連続テレビドラマ「木曜劇場」の「甘い結婚」で
出版社で営業課長を務める、主役の唯野喜太郎を演じた。
★2003年
ディズニーとピクサーの共同制作アニメ映画「ファインティング・ニモ」の
日本語吹き替え版で、声優として主役のマーリンを担当した。
★2004年
※テレビ朝日のスペシャルドラマ「にんげんだものー相田みつを物語ー」で
相田みつを役を演じ、好評を博した。
※とんねるずとして、フジテレビ系列のバラエティ番組「笑っていいとも!」の
レギュラーになる。
★2019年
10月にソロ歌手としての音楽活動を開始するため、自主レーベル
「木梨レコード」を立ち上げ、12月11日に処女アルバムとして
「木梨ファンクザ・ベスト」を発売した。
年齢を重ねても、破天荒な行動で視聴者を楽しませて、
お茶の間を明るくしてくれる、木梨さんのソロ歌手としての
新たな挑戦にエールを送りたいですね。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。