中村雅俊さんが学生時代に住んでいた部屋の家賃が・・・
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、優しい面立ちで様々な役柄を魅力的に演じる俳優業と、
ライブ本数1,500本を超える音楽活動を、見事に両立させて
活躍している、中村雅俊さんの登場です!
プロフィール
慶応義塾大学経済学部出身
生年月日 1951年2月1日
身長 182cm
体重 72kg
血液型 O型
経歴
★幼少期
※漁師の父親と、母親、5歳年上と3歳年上の姉の、5人家族だった。
※3歳の時に父親が亡くなってしまった(享年42歳だった)
※父親に関する記憶は、亡くなる瞬間の姿と、火葬場に行く車ぐらいだった。
※シングルマザーとして家族を養うために、
母親が自営で「BAR八重」を始めた。
※末っ子で、家族の中で男一人だったので「王子」と呼ばれ、かわいがられた。
※結構やんちゃな子供で、墓場で墓石を飛び越える遊びをしていて、
墓石を倒すという、バチあたりな事をしたことがあった。
※勉強ができて、成績はかなり良かった。
※好きな女の子に会いたくて、その子が通っていた、そろばん塾に入った。
※その女の子は、すぐに転校して、いなくなってしまったが、
そろばん塾は通い続け、2級を取った。
※下校途中にガマンできなくなって、必死で走ったが間に合わず、
ウンコを2回漏らしたことがある。
なぁ~に~? やっちまったなぁ!(笑)。
※学校の担任の先生が母親の店に来て、酔っぱらってしまい、
説教されたことがあった。
※相変わらず勉強が出来て、成績優秀で、毎年学級委員を務めた。
※バスケットボール部に所属し、キャプテンになった。
※店の経営で母親が忙しく、毎日テーブルに
200円の食事代が置かれていたが、食事代を100円に抑え、
残りの100円を貯金して、大好きだったビートルズや、
当時流行っていた、グループサウンズのレコードを買って聞いていた。
※中学の近くにあった「バッカス」というキャバレーの、
下着姿のホステスを毎日覗いていた。
※母親が経営していた「BAR八重」ホステスが自宅の隣の部屋に住んでいて、
下着姿でウロウロしているのが見えてドキドキした。
あっちも下着、こっちも下着で・・・。
クセがすごいんじゃあ~~!!(笑)。
※中学の時の3年間で25cmも身長が伸びて、
3年生の時には180cmに到達した。
※中3の時に交際を始めた女の子とは、大学時代まで付き合い、
手紙をやりとりしたり、作った曲をプレゼントしたりした。
※当時は県立の男子校で、1923年創立の伝統校でもあり、
地元では古くから、進学校として知られていた。
※バスケットボール部のキャプテンを務め、引き続き学校の成績もよく
文武両道だった。
※バスケットボール部の先輩に影響を受けて、ギターを始めた。
※電車でよく、目の前に座った人の目を見続けて、
視線をそらした方が負けという「ガン付けゲーム」をしていた。
※母親に見つからない様に、電信柱によじ登って、家の2階から出入りし、
悪友が集まって飲み会をした。
※将来は外交官になりたくて、東京外国語大学を志望したが、
東北大学への進学を希望する母親と対立した。
※最終的には東京外国語大学を受験したが、不合格となり、
一年浪人後、慶應義塾大学経済学部に合格し、母親も納得した。
★慶応義塾大学経済学部
※ESS(英会話研究会)に所属し、四大学英語劇大会に参加し、
さらに、五木寛之の小説を読むことで、外交官になることを、
引き続き夢見ていた。
※横浜市のトイレ共同、風呂なし、4畳半で
家賃5,000円の部屋に住んでいた。
※金持ちの同級生が住んでいる部屋の家賃が10万円と聞いて
ビックリした。
※実家から通学していた友人の家に行って、よく食事をごちそうになり、
友人不在の時でもごちそうになった事があった。
※野球の早慶戦の時は、前日から徹夜で席取りをした。
※様々なアルバイトをして学費を稼いでいた。
★家庭教師、ビアガーデンウエイター、ハンバーガー屋、ビルの清掃、
デパートで商品包装、店頭販売、貨物運搬など肉体労働は好きだった。
※家庭教師先の家でも、よく食事を食べさせてもらっていた。
※付き合っていた彼女の家で、家族と一緒に食事をさせてもらい、
彼女がいない時でも、食事目当てに遊びに行ったりしていた。
クセがすごいんじゃあ~~!!(笑)。
※昔のバンカラ学生に憧れ、下駄を愛用していた。
★1973年
文学座付属演劇研究所に入所し、大学を卒業すると同時に、
文学座に入団した。
★1974年
※日本テレビ系列で放送された、太陽学園ラグビー部を舞台とした、
青春ドラマ「われら青春!」の主役に抜擢され、大ブレイクした。
※「われら青春!!」の挿入歌「ふれあい」がデビューシングル曲となり、
オリコン1位に輝き、100万枚を突破するセールスを記録する
大ヒットとなった。
★1975年
※日本テレビ系列の刑事ドラマ「俺たちの勲章」で共演した
五十嵐淳子さんと、1977年メデタク結婚することとなる。
カースケ!!(笑)。
※ドラマの主題歌「俺たちの旅」がヒットし、レコード会社が
ご褒美に、ヨーロッパ旅行をプレゼントしてくれた。
古き良き時代ですね!
ふれあい
中村雅俊さんは、高校卒業後もっと広い世界を見たいという思いで、
故郷である、宮城県の女川町を後にして、上京しました。
そんな中村さんにとって、2011年の東日本大震災は
ショック以外の何物でもなく、震災後、自分は女川の人間だから、
支えなければいけないという地元意識が強くなったそうです。
大学時代に作曲した、故郷の女川を歌った曲「私の町」を歌うと、
地元の人たちは皆さん、泣いて喜んでおられます。
定期的に地元に帰って歌を歌うたびに、歌の力を再認識し、
役者1本でなく、ヒット曲「ふれあい」だけの一発屋でなかった事に、
改めて感謝しているそうです。
人は皆、一人では生きていけないものだから ♪
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。