山本昌さんが子供の頃、ジュースより好きだった飲み物
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、史上最年長の43歳で200勝を達成し
「中年の星」と呼ばれ、50歳での登板を花道に現役引退した、
プロフィール
左投 左打 投手
生年月日 1965年8月11日
身長 186cm
体重 87㎏
血液型 AB型
経歴
★幼少期
※両親と兄と弟の5人家族だった。
※父親は保険の外交官で、演歌のレコードを発売するほど、
歌が得意だった。
※母親は自宅を改装して「山本商店」という駄菓子屋を経営。
※小さいころから、ジュース代わりに必ず牛乳を飲むほど、
牛乳が好きだった。
※夏は毎日、山に行ってクワガタ捕りをして遊んでいた。
★小学校時代
※引き続き牛乳が大好きで、1日2リットル飲むことも珍しくなかった。
※学校の給食で、牛乳が嫌いな友達は全員、山本さんの所へ
牛乳を持って行っていた。
※小学校3年生の時に「緑ヶ丘グリーンタイガース」という
少年野球チームに所属した。
※小学校4年の時に初めて試合に出場したが、かなりの弱小チームで、
1点も取れず、36点差で大敗を喫した。
※大敗したものの、野球をすることが心から楽しかったので、
この試合が、野球を愛するきっかけとなった。
「ブラックサニーズ」という野球チームで、ピッチャーをやったが、
エースにはなれなかった。
★神奈川県茅ケ崎市立松林中学校
※勉強が得意で、学校の成績も良かったので、
将来は、教師になりたいと思っていた。
※軟式野球部に入部したが、練習は想定外に超ハードだった。
※特にバントの練習は厳しく、1番から9番まで全員が成功しないと
顔をビンタされ、成功するまで、延々と繰り返された。
※ずっと補欠だったが、2年生の時に、エースピッチャーだった同級生が、
腰を痛めて投げられなくなったので、エースナンバーを託され、
チャンスが巡ってきた。
※中学3年生の夏に神奈川大会に出場したことで、高校のスカウトの
目に留まり、日本大学藤沢高等学校にスポーツ推薦で入学する事になる。
※全国高等学校野球選手権大会の神奈川大会で、高校2年と高校3年の夏は、
2年連続ベスト8どまりだったので、甲子園出場の夢は果たせなかった。
※高校卒業後は、教師を目指すため、大学に進学するつもりだったが、
高校選抜チームの試合で好投し、監督から「プロでやっていける。」と
言われ、プロ入りを目指すことを決意した。
★1984年
長野県出身の父親が、中日ドラゴンズのファンだったこともあり、
ドラフト5位で、中日ドラゴンズに入団した。
★1986年
シーズン終盤の消化試合で、一軍初登板を果たすも防御率27.00だった。
★1987年
開幕一軍入りするものの、疲労骨折でひじを痛め、シーズン
3試合のみの登板で、防御率16.00だった。
★1988年
※2月にベロビーチで中日と業務提携していた
ロサンゼルス・ドジャースとキャンプを行ない、山本さんを含む
若手の5人が、野球交換留学として、そのままアメリカに残った。
※前年指導してくれたドジャースの世話役の、生原昭宏さんと再び出会い、
技術面だけではなく、生活習慣等に至るまで厳しく指導され、結果が出ず、
消えかけていた野球の情熱を、再びよみがえらせることが出来た。
※帰国して間もなく、中日の投手が足りなくなった状況もあり、
先発するチャンスが巡ってきて、スクリューボールや、精度の高い
コントロールを駆使して、一軍で5連勝を飾り、リーグ優勝に貢献した。
※この年のシーズンは、8試合のみの登板ながら、防御率0.55と、
格段の進歩を遂げた。
★1989年
5月27日の対読売ジャイアンツ戦で、シーズン初勝利を完封で飾る。
本人は後年、この1勝を最も思い出深い勝利に挙げている。
★1990年
プロ入り初の2桁勝利、10勝を挙げ、この年同じく左腕の
今中慎二さんも10勝を挙げ、90年代、共に左の2枚看板エースとして、
中日ドラゴンズの投手陣の柱になっていった。
★1993年
17勝5敗、防御率2.05の好成績を残し、最多勝と最優秀防御率の
Wタイトルを獲得した。
★1994年
19勝8敗とシーズン自己最多勝利を挙げ、最多勝のタイトルと、
初の沢村賞を受賞した。
★1997年
初の開幕投手を務め、18勝7敗で3年ぶり3度目の最多勝のタイトルと、
159個の三振を奪い、初の最多奪三振のタイトルを獲得した
★2000年
※チームの左腕の勝ち頭として、3年ぶりの2桁勝利の11勝を挙げた。
※防御率もチームの全日程を終えた時点では、リーグトップに立っていたが、
リーグの最終戦で、粘りのピッチングを見せた、ヤクルトスワローズの
石井一久さんに抜かれ、なんとわずか0,0004点差という僅差でタイトルを逃した。
★2004年
13勝6敗の好成績で、川上憲伸さんと左右のエースとしてチームを引っ張り、
リーグ優勝に貢献した。
★2006年
通算2,000奪三振を達成した。
※9月6日ナゴヤドームでの対阪神タイガース戦で、41歳1ケ月にして、
当時のプロ野球最年長記録を樹立した。
※左腕に限った記録では、世界最年長記録のノーヒットノーランだった。
※この年のシーズンは、11勝7敗の成績を残し、40歳代としては、
2桁勝利だった。
★2008年
8月4日ナゴヤドームの対巨人戦で、完投勝利を収め、プロ野球史上
24人目となる、通算200勝を達成した。
★2010年
9月4日の対巨人戦で完封勝利を挙げ、1950年に毎日オリオンズの
若林 忠志さんが達成した、史上最年長完封勝利の日本記録(42歳8ケ月)と
2008年に自身が記録した、最年長完投勝利記録を更新(45歳0ケ月)した。
★2015年
50歳1ケ月と26日で迎えた10月7日の対広島カープ戦で、
日本プロ野球史上初の50歳出場登板を果たし、現役を引退した。
通算成績219勝、奪三振2310で、勝率5割7分と素晴らしい記録を
残した山本昌さんですが、入団当初は、投球速度が130キロ前後で、
コントロール能力も低く、失礼ながら、どう見ても、
プロで通用する素材ではありませんでした。
努力を怠らず、諦めなかった結果だと、一言で言うのは簡単ですが、
紆余曲折、大変な苦難を乗り越えてきたのは、間違いないでしょう。
今年の、我らが阪神タイガースの秋季キャンプで、臨時ピッチングコーチ
を務めていただきましたが、投手のみならず、野手からも、
そのコーチングぶりは絶賛されています。
現有コーチングスタッフとの兼ね合いが難しい部分ではありますが、
春のキャンプにも臨時ピッチングコーチとして来て頂ける様で、有り難い話です。
現役時代に色々と苦労し、修羅場をくぐってきた分、引き出しは
沢山持っているみたいですので、阪神タイガースの投手陣は、
その引き出しを全開させるぐらい質問攻めにして、そのノウハウを
しっかり身に付ける努力をして、優勝に結び付けてもらいたいですね。
では、今日の所はこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。www.m-hikoboshi.com