平松正次さんのカミソリシュート誕生秘話
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、切れ味鋭い「カミソリシュート」と呼ばれた
シュートボールを武器に「巨人キラー」として活躍した、
平松政次さんの登場です!
プロフィール
生年月日 1947年9月19日
身長 176cm
体重 74kg
経歴
★幼少期
※父親が3歳の時、病気で亡くなり、母子家庭で育った。
※いたずら好きの、やんちゃな子供で、母親によく激怒され、
縄で手首をくくられ、庭の柿の木に吊下げられたのは、
1度や2度ではなかった。
★小学校時代
※お調子者のおっちょこちょいで、よく担任の先生に叱られた。
※6年生になって学校一厳しい先生が担任になり、
廊下にしょっちゅう立たされ、ヒドイ時は校庭の真ん中に、
1時間立たされたこともあった。
※ソフトボール部に所属し、ピッチャーで活躍した。
★中学校時代
※野球部にピッチャーとして入部し、活躍した。
※ある日、野球部の練習前に、好奇心で陸上部の砲丸投げの
砲丸を投げて、同級生の頭に直撃し、頭蓋骨陥没の大けがを
負わせたことがあった。
※幸い命に別状はなく、後遺症も残らなかったので、
ホッと胸をなでおろした。
※野球部に入部し、2年生の夏の甲子園岡山県大会予選は、投手として
1、2回戦を連続完封するも、ベスト4で、星野仙一投手を擁する
倉敷商業高等学校に完敗した。
※秋季中国大会決勝で、米子東高等学校に敗れたものの、翌年の
第37回選抜高等学校野球大会への出場を決めた。
※3年生の春の選抜甲子園大会では、39イニング連続無失点の
大会新記録を樹立した。
息詰まる熱戦の末に下し、見事に、全国優勝を飾った。
※夏も甲子園大会に出場し、春夏連覇を狙うも、
1回戦で日大二高に敗れてしまった。
★日本石油
※1965年の記念すべき第1回ドラフト会議で、中日ドラゴンズに
4位で指名を受けたが、入団を拒否した。
※社会人野球の日本石油に入社し、エースピッチャーとして活躍した。
※1966年の都市対抗野球大会で、ベスト4の成績を残す。
※第2回第2次ドラフト会議で、大洋ホエールズ(現:DeNA)より
2位の指名を受けたが、1指名の確約を受けていた巨人が、別の人を
指名したため入団を保留した。
巨人への怒りがメラメラ~!!(笑)。
※大会終了の2日後、入団説得の為に高校の先輩で、
土井淳さんが、平松さんの所に訪れ話をし、
大洋ホエールズへの途中入団を決意する。
プロ入り
※入団からわずか6日後の、8月16日の対広島カープ戦に
早くも登板したが、藤井弘さんに2本のホームラン打たれ、
プロの洗礼を浴びた。
※8月20日、中3日で対サンケイアトムズ
(現:東京ヤクルトスワローズ)戦に先発登板し、
高校の先輩であるキャッチャー土井さんのリードと、
強風にも助けられ、4安打完封で初勝利を挙げた。
※途中入団だった初年度の成績は、3勝4敗、防御率3.60だった。
カミソリシュート誕生秘話
※2年目の成績が5勝12敗と散々な結果に終わったので、
絶望感に打ちひしがれながら、3年目の春のキャンプを迎える。
※雨天の為、一軍選手が体育館で練習した日があり、
打席に立った近藤和彦さんが、冷やかしで投げさせたシュートが
あまりにも鋭く胸元に食い込んできたので、驚いた一軍選手が
コーチに報告したことによって、チャンス到来となる。
わずか6球の出来事であった。
★1969年
「カミソリシュート」を武器に、14勝の成績を挙げ、
入団3年目にして、頭角を現した。
★1970年
※25勝19敗 防御率1.95で最多勝利投手のタイトルに輝き、
沢村賞も受賞した。
※この年は、セ・リーグのベストナインにも選出され、大きく飛躍した。
★1971年
17勝を挙げ、2年連続最多勝利投手のタイトルを獲得した。
★1983年
※12年連続2ケタ勝利をあげるなど、大洋ホエールズのエースとして君臨し、
通算200勝を達成した。
※甲子園優勝校で、投手として日本プロ野球名球会に入会出来たのは、
今のところ、平松さんだけである。(打者では、王貞治さんと柴田勲さん)
巨人キラー
平松さんは現役時代「巨人キラー」として有名で、対巨人戦通算51勝は、
金田正一さんの65勝に次ぐ、第2位でした。
通算201勝ですから、1/4以上の勝利を巨人から挙げたことになります。
特に長嶋茂雄さんには滅法強く、後年長嶋さんは、
「あの頃は、寝ても覚めても平松のシュートが、頭から離れなかった」と
語っています。
長嶋さんは平松さんとの対戦前夜は、中々寝付けず、夜中に飛び起きて
素振りをする事が多かったらしいですが、平松さんの対巨人戦への
イレこみ方は、それ以上でした。
巨人戦には、かなり特別な感情があった様で「私は巨人戦の3日前から
イレこみます。飯は食えない、眠れない、3日前から興奮状態に、
入っちゃうんです。」と語っています。
昨今は、精神論を問う時代ではないのでしょうが、やはり人間「気持ち」が、
大事だとつくづく思い知らされました。
今後も、その熱い情熱を、プロ野球界に注ぎ続けていただきたいものです。
では、今日のところはこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。