頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛法

発毛効果のあるブログ

約30年間薄毛と共に過ごしてきましたが、ある情報がきっかけで、薄毛治療を開始し、改善されつつあります。まさか61歳にしてこんなに改善されるなんて想像もしていませんでしたので、本当にビックリしました。おかげさまで副作用も全くないので、一体どこまで改善されるのか、楽しみしかありません。

平松正次さんのカミソリシュート誕生秘話

皆さん、こんばんは。

薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、

7月7日七夕生まれの、

ミスターヒコボシです。

 

本日は、切れ味鋭い「カミソリシュート」と呼ばれた

シュートボールを武器に「巨人キラー」として活躍した、

大洋ホエールズ(現:DeNA)のエースピッチャーだった

平松政次さんの登場です!

 

プロフィール

 

岡山県立岡山東商業高等学校日本石油出身

生年月日 1947年9月19日

身長 176cm

体重 74kg

 

経歴

 

★幼少期

※父親が3歳の時、病気で亡くなり、母子家庭で育った。

 

※いたずら好きの、やんちゃな子供で、母親によく激怒され、

縄で手首をくくられ、庭の柿の木に吊下げられたのは、

1度や2度ではなかった。

 

★小学校時代

※お調子者のおっちょこちょいで、よく担任の先生に叱られた。

 

※6年生になって学校一厳しい先生が担任になり、

廊下にしょっちゅう立たされ、ヒドイ時は校庭の真ん中に、

1時間立たされたこともあった。

 

ソフトボール部に所属し、ピッチャーで活躍した。

 

★中学校時代

※野球部にピッチャーとして入部し、活躍した。

 

※ある日、野球部の練習前に、好奇心で陸上部の砲丸投げ

砲丸を投げて、同級生の頭に直撃し、頭蓋骨陥没の大けがを

負わせたことがあった。

 

※幸い命に別状はなく、後遺症も残らなかったので、

ホッと胸をなでおろした。

 

岡山県立岡山東商業高等学校

※野球部に入部し、2年生の夏の甲子園岡山県大会予選は、投手として

1、2回戦を連続完封するも、ベスト4で、星野仙一投手を擁する

倉敷商業高等学校に完敗した。

 

※秋季中国大会決勝で、米子東高等学校に敗れたものの、翌年の

第37回選抜高等学校野球大会への出場を決めた。

 

※3年生の春の選抜甲子園大会では、39イニング連続無失点の

大会新記録を樹立した。

 

※決勝戦まで勝ち進み、後に阪神タイガースの主力になる、

藤田平さんがいた、市立和歌山商業高等学校を延長13回という

息詰まる熱戦の末に下し、見事に、全国優勝を飾った。

 

※夏も甲子園大会に出場し、春夏連覇を狙うも、

1回戦で日大二高に敗れてしまった。

 

日本石油

※1965年の記念すべき第1回ドラフト会議で、中日ドラゴンズ

4位で指名を受けたが、入団を拒否した。

 

※社会人野球の日本石油に入社し、エースピッチャーとして活躍した。

 

※1966年の都市対抗野球大会で、ベスト4の成績を残す。

 

※第2回第2次ドラフト会議で、大洋ホエールズ(現:DeNA)より

2位の指名を受けたが、1指名の確約を受けていた巨人が、別の人を

指名したため入団を保留した。

 

巨人への怒りがメラメラ~!!(笑)。

 

※1967年の都市対抗野球大会で優勝し、橋戸賞に輝く。

 

※大会終了の2日後、入団説得の為に高校の先輩で、

当時の大洋ホエールズの主力選手だった、秋山登さんと

土井淳さんが、平松さんの所に訪れ話をし、

大洋ホエールズへの途中入団を決意する。

 

プロ入り

 

※入団からわずか6日後の、8月16日の対広島カープ戦に

早くも登板したが、藤井弘さんに2本のホームラン打たれ、

プロの洗礼を浴びた。

 

※8月20日、中3日で対サンケイアトムズ

(現:東京ヤクルトスワローズ)戦に先発登板し、

高校の先輩であるキャッチャー土井さんのリードと、

強風にも助けられ、4安打完封で初勝利を挙げた。

 

※途中入団だった初年度の成績は、3勝4敗、防御率3.60だった。

 

カミソリシュート誕生秘話

 

※2年目の成績が5勝12敗と散々な結果に終わったので、

絶望感に打ちひしがれながら、3年目の春のキャンプを迎える。

 

※雨天の為、一軍選手が体育館で練習した日があり、

打席に立った近藤和彦さんが、冷やかしで投げさせたシュートが

あまりにも鋭く胸元に食い込んできたので、驚いた一軍選手が

コーチに報告したことによって、チャンス到来となる。

わずか6球の出来事であった。

 

★1969年

「カミソリシュート」を武器に、14勝の成績を挙げ、

入団3年目にして、頭角を現した。

 

★1970年

※25勝19敗 防御率1.95で最多勝利投手のタイトルに輝き、

沢村賞も受賞した。

 

※この年は、セ・リーグベストナインにも選出され、大きく飛躍した。

 

★1971年

17勝を挙げ、2年連続最多勝利投手のタイトルを獲得した。

 

★1983年

※12年連続2ケタ勝利をあげるなど、大洋ホエールズのエースとして君臨し、

通算200勝を達成した。

 

※甲子園優勝校で、投手として日本プロ野球名球会に入会出来たのは、

今のところ、平松さんだけである。(打者では、王貞治さんと柴田勲さん)

 

巨人キラー

 

平松さんは現役時代「巨人キラー」として有名で、対巨人戦通算51勝は、

金田正一さんの65勝に次ぐ、第2位でした。

 

通算201勝ですから、1/4以上の勝利を巨人から挙げたことになります。

 

特に長嶋茂雄さんには滅法強く、後年長嶋さんは、

「あの頃は、寝ても覚めても平松のシュートが、頭から離れなかった」と

語っています。

 

長嶋さんは平松さんとの対戦前夜は、中々寝付けず、夜中に飛び起きて

素振りをする事が多かったらしいですが、平松さんの対巨人戦への

イレこみ方は、それ以上でした。

 

巨人戦には、かなり特別な感情があった様で「私は巨人戦の3日前から

イレこみます。飯は食えない、眠れない、3日前から興奮状態に、

入っちゃうんです。」と語っています。

 

昨今は、精神論を問う時代ではないのでしょうが、やはり人間「気持ち」が、

大事だとつくづく思い知らされました。

 

今後も、その熱い情熱を、プロ野球界に注ぎ続けていただきたいものです。

 

では、今日のところはこの辺で。

 

また次回、元気でお会いしましょう。

 

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