田淵幸一さんは、7打数連続本塁打記録保持者です
皆さん、こんばんは。
阪神タイガースファン歴60年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
本日は、私が子供の頃あこがれた、
3代目ミスタータイガースの
田淵幸一さんの登場です!
阪神タイガースに所属したのは、
1969年から1978年です。
プロフィール
1968年 ドラフト1位
法政大学出身 右投右打 捕手
生年月日 1946年9月24日
身長186cm
体重90kg
夫人 元女優 ジャネット八田
長男 フジテレビアナウンサー 田淵裕章
次男 俳優 田淵帝次
経歴
★豊島区立高田中学校(現・豊島区立千登世橋中学校)
在学中に野球を始める。
1年時 秋季東京大会 準決勝敗退
3年時 夏の甲子園 東京都大会予選 準々決勝敗退
★法政大学経済学部
※1年時 春から東京六大学野球リーグ出場
マニラ開催 第6回アジア野球選手権大会
代表メンバーとして優勝
※在学中 3度のリーグ優勝
リーグ通算97試合出場、342打数94安打 打率275
★1968年 ドラフト1位。
★1969年 強肩、強打の捕手としてレギュラーに定着
22本塁打を放ち、新人王を受賞。
★1970年 広島戦で外木場投手から、左こめかみに死球を受ける。
救急車で病院に搬送される。
★1972年 34本塁打を記録。
江夏豊とのコンビは「黄金バッテリー」と呼ばれた。
対巨人戦同一カード7打数連続本塁打記録を達成する。
★1974年 父親が死去した当日、試合前に電報を受け取るも
強行出場。
平松政次から、
2本のホームランを放つ。
★1978年 西武ライオンズに電撃トレード。阪神タイガースから
当時のクラウライターライオンズから
4対2の大型トレード!
ホームランアーティスト
滞空時間の長い、大きく美しい放物線を描くホームランの軌道を、
実際にこの目で甲目の当たりにした私は、
あまりの美しさに見とれてしまい、一瞬放心状態の様になり、
そして石の様に固まってしまいました。
こんな綺麗なホームラン生まれて始めた見た!
たちまちファンになりました。
当時、野球部でもないのに、なけなしの小遣いをはたいて
「田淵モデル」のバットを買ってきて、自宅で素振りしていた事を、
今でも、鮮明に覚えています。
古き良き時代の思い出ですね(笑)。
では、今日のところはこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。