藤田平さんは、208打席連続無三振の記録保持者です。
皆さん、こんばんは。
阪神タイガースファン歴60年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの
ミスターヒコボシです。
本日は、阪神タイガースのユニフォームに袖を通して
もっとも沢山の安打(2064安打)を放った、
当時、タイガース生え抜き打者唯一の名球会会員である、
藤田平さんの登場です!
阪神タイガースに選手としては、1966年から1984年の
19年間在籍しました。
プロフィール
1965年 ドラフト2位
右投左打 内野手
生年月日 1947年10月19日
身長 177cm
体重 81kg
経歴
2年時 春の選抜大会に出場を果たすも、無念の1回戦敗退。
夏は県大会準決勝敗退。
3年時 春の選抜大会に2年連続出場。準優勝。
夏は県大会準々決勝で敗退。
(対戦相手の南部高のエースは、後にプロで同僚となる上田二郎氏)
★1965年 ドラフト2位で阪神タイガース入団
★1966年 1年目から一軍で起用され、サード、ショートで
39試合に先発出場。
★1967年 当時ショートのレギュラーだった牛若丸の
異名を持つ名手吉田義男氏をセカンドに追いやり、
レギュラー定着。
154安打を放ち、3割には
惜しくも届かなかったものの、
打率291、本塁打も16本の活躍をみせる。
★1974年 打率302を記録。ようやく3割の壁を打ち破った。
★1978年 208打席連続無三振の当時日本記録を樹立。
(1997年にイチローが216打席で記録更新)
さすがイチロー!それにしても200打席以上無三振って、
一試合平均4打席で50試合!!
二人とも本当に凄い!の一言に尽きます。
★1979年 開幕から間のない4月に、一塁手守備時に左太もも肉離れ
思いのほか重傷で、米国でのリハビリ等で、
シーズンを棒に振る結果に。
★1981年 驚異の打率358を記録。セ・リーグの首位打者獲得。
獲得した不屈の精神は、当時、暗黒・低迷時代のチームに
大きな影響を与えたとされる。
★1983年 5月3日巨人戦。
通算2000本安打を達成。
★1984年 チーム新記録の2010試合出場を置き土産に、
現役引退。
阪神タイガースがリーグ優勝した翌々年に入団した藤田平さんは、
19年間の現役選手生活で、ベストナイン7回、
ダイヤモンドグラブ賞3回と、チームの主力として活躍するも、
日本一はおろか、リーグ優勝すら経験することなく、
1984年に惜しまれながら現役選手を引退しました。
翌年の1985年に、派手に打ちまくって、
我が阪神タイガースが、2リーグ制になって
初の日本一に輝いたのは、あまりにも有名です。
タイミング的に、非常に気の毒な気もしますが、
無口で、寡黙な男の生きざまを
象徴しているのかもしれませんね。←カッコいい!!
バットの芯にあてるのがうまく、体に無駄な力が入っていない感じの、
自然体の軟らかいバッティングフォームが、
本当にカッコ良くて。
子供の頃、背番号6は、
私のあこがれの番号でした・・・。
では、今日の所は、この辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。