大地真央さんの「そこに愛はあるんか?」
皆さん、こんばんは。
薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、
7月7日七夕生まれの、
ミスターヒコボシです。
宝塚歌劇団、月組トップスターだった女優の大地真央さんの登場です。
プロフィール
宝塚歌劇団出身
生年月日 1956年2月5日
身長 166cm
血液型 B型
経歴
※父親は外国航路の船長を務めていた元陸軍軍人で、母親は横浜出身、
実家は300年以上続く淡路島の大地主という名家。
※大地真央さんは、4歳の時から日本舞踊を習い始めた。
※勝気な性格で、クラスのリーダー的な存在だった。
※毎日の様に、大浜海岸や三熊山で遊ぶ活発な子供で、
三熊山ではロッククライミングのように、山登りを楽しんでいた。
※ホステスごっごが好きな、少しませた感じの子供だった。
※小学生の頃から、ナルシストな部分があり、泣き顔を鏡で観察して、
かわいく見える角度を研究したりしていた。
そこに愛はあるんか?(笑)。
※入学当初は将来、舞妓さんかバスガイドに、なりたいと思っていた。
※日本舞踊で舞台に立つことと、芝居の面白さに目覚める。
※自らの手で演劇部を創部し、父親に芸能活動をしたいと伝えたが、
反対され却下された。
※父親の軍隊時代の知人に「宝塚歌劇団なら、軍隊並みに厳しいので、
本人のためになる。」と進言され、数ヶ月のレッスンを受けた後、
宝塚音楽学校を受験した。
軍隊並みに厳しいと聞いても行くのが凄い!
※倍率が20~50倍という競争率で、かなり狭き門であったにもかかわらず、
見事に一発で合格した。
★1971年
※中学卒業後、宝塚音楽学校に入学。
※宝塚音楽学校での生活は大変厳しいルールの中、演劇の勉強に、
全神経を集中させなくてはならず、かなりハードな毎日だった。
そこに愛はあるんか?
2回目! ウザッ(笑)。
★1973年
※晴れて59期生として、宝塚歌劇団に入団した。
※芸名の「大地」は長姉が考えてくれたもので、
「真央」は本人が幼い頃から、芸名として決めていたものだった。
※毎日放送ラジオ番組『MBSヤングタウン』の土曜日公開放送で、
★1974年
※当初は星組で舞台を踏んでいたが、この年、月組に配属された。
※男役として一気に人気を獲得し、月組の新進男役スターとして、
注目を浴びた。
※ちなみに、当時の月組の娘役トップは、 女優の黒木瞳さんであった。
※黒木瞳さんとのゴールデンコンビで、人気を不動のものとした。
★1976年
『ベルサイユのばらⅢ』の公演で、小公子を熱演した。
★1981年
『新源氏物語』の公演日程中の数日間、
★1985年
宝塚歌劇団を退団した。
※宝塚歌劇団を退団した後は、女優としてミュージカルなど、
舞台を中心に活動する傍ら、ドラマや映画の出演もこなし、
絶大な人気を博した。
★2014年
宝塚歌劇団創立100周年を記念して設立した
『宝塚歌劇団の殿堂』の最初の100人の内の一人として、
殿堂入りの栄誉を受けた。
気さくな女優さん
大地真央さんは、若い頃から美しく、品の良い雰囲気や
オーラを醸し出し、絶大な人気を博してきましたが、
ユーモラスな一面も持ち合わせています。
ワンシーンに「禿げカツラ」を着用して出演し、帽子を取った際
客席から大爆笑が起こり、ストーリーが台無しになり、スタッフから
厳重注意を受けたことがあるのです。
こういった失敗談によって、イメージが損なわれるのを非常に気にする
女優さんもいる様ですが、人間味があふれていて、その美しさとの
良い意味でのギャップが魅力的で、親近感も沸いてきます。
気さくな雰囲気の大地真央さんの更なる活躍に、
今後も注目していきたいと思います。
では、今日のところはこの辺で。
また次回、元気でお会いしましょう。